帰って来たヨッパライ 七月のある夜。その事件は起きた――。 剣菱邸で、六人はテスト休み開始を祝って、酒盛りをしていた。その行為自体は然程 珍しいものではない。だが、いつもと少し違っていたのは、その場に彼ら以外の人物が いたことだった。 「いや〜、こうして息子と酒を酌み交わす日が来るとはなあ、松竹梅時宗、感無量!」 「悠理もわしに似て、酒が強いだがや」 カッカッカ、わはははは、と笑う親父が二人。ご存知、万作&時宗の二人である。 正直六人は、困っていた。大人と飲む酒なんて楽しくないに決まっている。しかもそ れが身内と来れば。 「親父、そろそろ帰った方がいいんじゃねえか?」 魅録は、それとなく水を向けてみるのだが、時宗は一向に猪口を手放そうとしない。 「なに、まだまだ!夜は長いぞ!!」 「でも、明日仕事なんだろ」 「明日は、ちゃーんと休みを取ってある!心配する必要はない!」 「はあ〜っ」 思わず深いため息が出る。それは悠理の方も同じで、肌着を脱ぎ捨て裸踊りをかま そうとする万作を止めるのに四苦八苦していた。 「もうやめてよ、父ちゃん〜!」 「うるさい、なして止めるだがや!誰にも迷惑は掛けてねーだよ!!」 「あー、もうッ!!」 「ほれ、見るだがや、剣菱家秘伝の必殺裸踊り!!」 「やめろ〜!!」 「恥ずかしくて、オレ、もう死にたい」 「あたしだって……」 友人への申し訳なさと、羞恥で、二人は肩をがっくり落としたが、そんな彼らを友人た ちは暖かい笑顔で慰めた。 「そんなに気にする必要ないですわよ」 「そーよぉ。この二人がこうなのは、いつものことじゃない」 「これはこれで、結構楽しい……ですよ」 「日本の文化の一つである裸踊りも見られるしね!」 優しい彼らに、魅録と悠理は感動した。 「うう、みんな、ありがと〜!」 「畜生、勝手に涙が出てきやがるぜ」 そんな感じで、改めて友情を深めた彼らだったが、まさかこの後にとんでもない惨劇 が待ち受けているとは知る由もなかったのである……。 三時間後。 酔いどれオヤジの長話に適当に相槌を打ちつつ、杯を重ねた彼らは、ほろ酔い気 分のとても良い感じになっていた。どうせ、今日は悠理んちに泊めてもらえるし、後は 寝るだけだ〜♪という風に。 「それじゃあ、今夜はこれくらいでお開きにしましょうよ」 頬を仄かに染めた可憐の提案に、野梨子と悠理は「賛成!」と同意した。男三人は まだ飲み足りなさそうだったが、神妙な視線を交わしあい、やがて頷いた。 「よーし、それじゃ寝よ寝よ」 「私、もう瞼が落ちそうですわ」 「ちょっと飲みすぎちゃったかしら」 と、部屋を出て行こうとした彼ら。ところが、そうは問屋が卸さない。 「ちょっと、待ちたまえぃ!!」 「おめたち、どこへ行くだがや!!」 とうに潰れたとばかり思っていたオヤジ二人が、ドタドタと起き上がり、部屋のドアの前 に立ちはだかったのである。 「なんだよ、どいてくれよ」 「男時宗、死んでもここは動かぬぞ!」 「おじさん、もう夜も遅いし、そろそろお開きにした方が良いのでは」 「なにを、たわけたことを言ってるだ!! ギロリと鋭い眼光を向けられて、魅録と清四郎はたじろいだ。後ろの四人も。 「こんな時間は、まだ宵の口じゃ!!宴はこれからぞ!」 「でも、もうオレたち、飲みたくねんだよ」 「情けないことを言ってくれるな、魅録……。おまえも男なら、潰れるくらいまで飲んで みせんか!!」 カッ!と叫ぶ時宗に、美童と野梨子はガタガタと震えた。 「言ってることが無茶苦茶だよぉ」 「怖いですわ、おじさま……」 だが、清四郎は冷静だった。 「しかし、酒は飲んでも飲まれるなという言葉もありますからね」 「清四郎、どうして壁に向って話してるんだよ?」 いや、ちっとも冷静ではなかった。悠理に指摘された彼は、はっ!として慌ててオヤ ジたちに向き直った。惨劇の予兆はこの時にすでに現れていたと言っていいだろう。 「だから、酒は飲んでも飲まれるなと」 「全然、説得力ないわよ、あんた」 すこーん。清四郎は黙ってしまった。 「まだまだ、おめたちも甘いだな!よし、おらたちが、酒ってものを徹底的に叩き込んで やるだよ!!」 がはははは、と笑う万作。六人は無理やり、部屋の中央に戻されてしまった。 「ほらほら、もっとぐいっと行け、ぐいっと」 「ちっ、仕方ねえなあ!」 半ば自棄気味にグラスを煽る魅録を見て、女三人は眉をひそめた。 「ありゃー、やばいよ」 「どうしましょう……」 「あたし、イヤよ。もう、あんなのは」 あ・ん・な・の――。 「清四郎くんと美童くんも、遠慮しねえでガンガン飲むだよ、ほれ!」 二人は万作に捕まっていた。 「美童、ほら、いただいたらどうですか」 「いやいや、清四郎こそ」 「僕は、後でいいんです」 「ぼ、僕だって!」 お先に、お先に、と、レジの順番の譲り合いをするオバサンのような二人に、万作の 渇が下された。 「四の五の言わずに、飲むだがや!!」 絶句する彼らの頭上に、一升瓶が掲げられる。 「うわ!待った、おじさん!!」 「ぎゃ〜、やめて!!」 喚く声もものともせず、万作は一升瓶を逆さまにし、どばどばと酒を二人の頭にぶち まけた。 「あちゃ〜、やっちゃったよ、父ちゃん」 「まずいですわよ!」 「あたしたち、逃げたほうがいいかも……」 彼女たちは、一体何をそんなに恐れているのであろうか。 頭から大量の酒を被った清四郎と美童は、しばらく俯いていたが、やがて顔を上げた。 ――太陽のような笑みを顔いっぱいに湛えて。 「あーもう、こんなんされたら酔っ払っちゃいますよ、お・じ・さ・ん!」 清四郎がニコニコと至極上機嫌そうに万作の肩をつつけば、美童はキラキラと輝くば かりの笑顔で、万作の背中を叩く。 「おっじさ〜ん、ひどいなぁ!ボク、お酒塗れになっちゃったじゃないかぁ〜♪」 あはははははは! 箍が外れたような彼らの笑い声に、万作の顔は強張った。 わし、とんでもないことしてしまったのでは……。そんな感じの顔である。 一方、魅録はといえば、こちらもすごいことになっていた。 「いいぞ、魅録。さすがワシの息子!見事な飲みっぷり!!」 「うい〜、ばーろーちくしょう。こうなったら、飲んで飲んで飲みまくってやるぜー!!」 ドン!と空の一升瓶を床に叩きつけ、魅録は部屋の外に向って叫んだ。 「酒持って来い、酒!!こんなビンじゃ足りねえ、樽で持って来ーい!!」 「うっわー、魅録がトラになってるぅ〜」 普段の冷静な仮面をどこかに置き忘れてきたかのように、笑い転げる清四郎。 「お酒、お酒♪お酒大好き、スキスキス〜♪」 ふらふらと立ち上がり、自分が零した酒に滑った挙句、無様に転んで頭を打つ美童。 何もかもが狂い始めたように思えるが、この程度の酔い様なら、そう珍しいものでは ない。だが――、 「あなたたち、こんな夜遅くまで、なにをドンチャンやっているのッ!!」 バーン!とドアを開けて部屋に入ってきたのは、この館の主、百合子サマであった。 万作と時宗は肩を寄せ合い、身を竦ませた。 「あ、いや、その、母ちゃん……」 「奥さん、これには深いわけがありましてな」 「黙らっしゃい!!」 百合子の鬼の形相に、いい年した男二人はしゅんと縮こまってしまった。 「とにかく、もう宴会はやめること!うるさくって、眠れやしないわ!!」 「わ、わかったがや」 「そ、そうだな、その通り!!」 と、その場が収まりかけたとき、 「おうおう、おばちゃん、聞いてりゃ随分な話じゃねえかよ!!」 爆弾が投下された!! 女たちは、「あわわ……」と、見守ることしかできない。 百合子は魅録に向って冷たい視線を投げた。 「……あら、魅録ちゃん。随分と酔っ払っているのねえ」 「オレぁ、酔っちゃいねえ!あんたに言いたいことがあるんでい!!」 ゆらりと立ち上がると、魅録は百合子に向っておぼつかない足取りで歩み寄った。 「前々から思ってたんだけどよぉ、おばさん、ちょっと趣味が悪すぎじゃねえか?」 「ひぇ〜!」 悠理は顔を覆った。一番、言ってはならないことを……。 「私の趣味のどこが悪いと言うのかしら?」 百合子のこめかみがピクピクしている。 「怒らないから、言ってごらんなさい」 「ああ、言ってやる!あのなー真ピンクの、どヒラヒラした、気色の悪いフリルだよ!!」 と、叫んだところで、魅録の体がフラッとよろめいた。倒れそうになるのを百合子は咄 嗟に抱きとめる。 「まったく、とんだ酔っ払いだこと」 呆れたように言って、百合子は魅録を立たせようとしたが、何故か彼はじっ、と彼女の 顔を見つめたままでいた。 「あー!まずいですわ!!」 野梨子が喚いて、二人の傍に駆け寄ろうとしたが、時既に遅し。 「お、お袋……」 「は?」 「お袋ぉ!!」 すりすりと魅録は百合子の手に頬ずりし始めた。 「な、なんなのよ!?」 混乱する百合子に構わず、魅録は百合子に縋りつく。 「お袋〜、どうして家に帰ってきてくれないんだよぉ。オレ、本当は寂しいんだよ〜」 「魅録ちゃん、どうしちゃったの、魅録ちゃんたら!」 助けを求めるように見てくる百合子に、悠理たちはただ苦い笑みを浮かべることしか できなかった。最早、笑うしかない。そして、清四郎も。 「あーっはっはっは!お袋、寂しいんだよ〜だって!バカじゃないのーうひゃひゃひゃ」 ……狂ってる! 「もっと、オレの傍にいてくれよ……家にいてくれよ〜!うえっ、うえ〜〜ん!!」 しまいには泣き出す魅録に辛抱堪らなくなったのか、ついに百合子は縋る魅録を突 き飛ばしてしまった。 「えーい、鬱陶しいわね!!」 「うわーん、お袋、そんな殺生な〜!」 体を押された魅録はふらふらと後ろへよろけて、床に倒れた。ちょうど彼の落下地点 に座り込んでいた清四郎は、さすがというべきか、酔っていながらも、すばやくその場 から転がり、身をかわした。 「危ないなー、もお」 笑いながら彼が身を起すと、目の前にはドレッサーが鎮座していた。鏡に清四郎の 顔が映し出される。 「うわ、やばい〜!!」 気付いた悠理が叫んだが、やはり間に合わなかった。 「……な、なんということだ」 清四郎は先程までの間の抜けた笑顔とは打って変わって、怖いくらいに真剣な表情 で鏡を覗きこんだ。 「僕は、なんという美青年なんだ……!!」 ズコー!という効果音が聞えてきそうな場面だが、彼は至って真面目である。 「この、整った鼻梁。きりりとした眉。涼しげな瞳。白皙の頬……完・璧・だ!」 鏡を凝視する男から、女達は静かに離れた。 「ちょっとぉ、清四郎のは洒落にならないわよ」 「そうですわ、血を見ますわよ」 「そろそろ、本気で逃げよっか」 そう言う傍で、清四郎は未だに鏡と睨めっこ……否、対話していた。 「なぜ、僕はこれほどまでに美形に生まれてしまったのでしょう。ああ、なんという罪。あ あ、なんという……!!」 そう苦しげに呟き、がっくりと俯いたかと思うと、彼は立ち上がり、「うわあああ〜!」と、 絶叫しながら、鏡に向って拳を振り下ろした。ぱりーんと鏡が粉々に割れる。 「きゃー!なにをやっているの、清四郎ちゃん!!」 百合子は悲鳴を上げた。その足元で、万作と時宗はただ絶句することしかできない でいる。 「僕は恐ろしい、この自分の美しさが!!」 訳の分からん世迷言を喚きながら、清四郎は鏡の割れたドレッサーを持ち上げ、今 度はガンガンと床に叩きつけだした。手からはだらだらと血が流れている。 「清四郎ちゃん、血が出てるわよ!」 彼に向って駆け寄ろうとする百合子だったが、魅録が足にしがみついてきた。 「お袋、待ってよぉ!オレを置いていかないで〜!」 「もう、魅録ちゃんったらいい加減にしなさい!!」 足を振り回して魅録を剥がそうとする百合子だったが、彼は吸盤のように中々剥がれ ない。 「もう〜!!」 苛立つ百合子に向って、今までへらへらと酒を開けていた美童が近寄ってきた。 「ま〜ま〜、おばさん、そんなに怒らないで。美人が台無しですよぉ、あはは」 「美童ちゃん、うるさいわよ!!」 苛々していたところに、にやけた男が来て、百合子はぷっつん来てしまったらしい。 右手を勢いよく上げて、 パシッ!! と、美童の頬に平手打ちをかました。 「あ〜あ〜、美童まで」 可憐が呆れたように呟いた。 「ぶ、ぶたれた……」 美童は打たれた頬を押さえて立ち尽くしていたが、やがて、悶えるように両腕を体に 回し、震えた。 「カ・イ・カ・ン」 「……え?」 眉根を寄せる百合子に向って、美童はひざまづいた。 「お願いです、おばさま、もっとボクをぶって!!」 「は、はあぁ!?」 「ああ……おばさまの平手打ち、最高でした。どうか、もう一度……!」 「ちょっと、美童ちゃん!」 「ビンタして、足蹴にして、冷たくして、おばさま!!」 「バカヤロウ、これはオレのお袋だぞ!!」 「あぁ〜、僕はなんと罪深い人間だ!!」ドタン、バタン!ガシャーン!! 阿鼻叫喚、もしくは地獄絵図。とうとう百合子の雷が落ちた。 「悠理〜ッ!!これはどういうことなの!!」 「あ、その……あの」 彼女が言いよどんでいる間にも、事態は大事になっていく。 「はっ!こんなところにまで、僕の花のかんばせが!なんと超絶的な美しさなんだー!」 清四郎は、今度は窓ガラスに自分の麗しのお顔を見つけてしまったらしい。早速、窓 を突き破ろうとするのを、悠理は必死で後ろから羽交い絞めにして止めた。 「いい加減にしろってばあ!!」 「止めるな、悠理!おまえに僕の気持ちがわかってたまるか〜!」わかるわけがない。 「うっうっ、お袋ぉ〜、行かないで〜」 「ああ、もっと、もっとぶって!」 「あなた!!それと松竹梅さん!!この三人を、外へ連れ出してちょうだいッッ!!」 呆然と成り行きを見ていた二人はシャキーンと立ち上がった。 「は、はひっ!了解だがや!」 「承知した!」 「悠理、あんたも手伝いなさい!」 「は、は〜い!」 その後、三十分程のゴタゴタの末、三人はどうにかこうにか、酔っ払いどもを屋敷の 外へ放り出すことに成功したのであった。(一番、苦労したのは、光物に何かと反応す る清四郎だった) 「……で、どういうことなのか、詳しく説明してもらえるかしら?」 疲れたように椅子に凭れる百合子の前で、悠理、野梨子、可憐の三人はしゅんと項 垂れていた。 「悠理」 催促されて、ようやく悠理が口を開いた。 「あいつら……少しくらいの酒なら平気なんだけど、泥酔まで行くと、あんな風になっち ゃうんだ」 「昔からですの、おばさま。あの性癖は……」 「美童がマゾ。魅録がマザコン。清四郎がナルシスト。あまりに美しくて、自分の顔を 見るのが怖いんですって。よくもまあ、ここまで揃ったって感じだけどね」 「年増女に触られると、魅録のマザコン発動だろ。美童が女のビンタ。清四郎が鏡な」 「はあっ」 彼女たちの話を聞いて、百合子は深いため息をついた。 「だったら、どうしてあんなに飲ませたりしたの」 「あたしたちは止めたんだよ!清四郎たちだって自分のこと分かってるから、いつもな ら節制してるんだけどさ〜」 「おじさまたちが……」 「強引だったんですもの」 「まあ、そうなの。あなたたちが飲ませたのね?」 ギロリと睨まれて、万作と時宗は身を竦ませた。 「す、すまねえだがや。まさかこんなことになるとは……」 「わ、私も、知らなかったんでありますぞ!知っていたら、あんな風に無理強いはせぬ わ!」 「言い訳は結構」 「う、うう」 二人はそれきり黙ってしまった。 「とにかく、片付けは後にして、今夜は休むことにしましょう。疲れたわ、私も」 「か、母ちゃん、待つだがや〜!」 後を追う万作を従えて、百合子はぷりぷりと部屋を出て行った。時宗はその場にごろ んと大の字になる。 「わしは、ここで寝ることにしよう。確かに疲れた……」 「じゃあ、あたしたちも部屋に戻ろうか」 「そうですわね。魅録たちのことがちょっと心配ですけど」 「別に心配することないわよ。ま、清四郎辺りが池に飛び込んだりするかもしれないけ どさ」 「あ〜、有り得る有り得る。水面に向って、『誰だ、この美男子は!』とか言って〜」 「イヤですわ、悠理ったら」 「あははは」 「さ、寝ましょ、寝ましょ」 三人は、悠理の部屋へ引き上げていったのだった。 そして、その翌日。 「おまえって、本当にアホだな〜」 「悠理に言われたくない言葉No.1ですよね、それ。ごほごほ……」 呆れる悠理の前で、清四郎は剣菱家のベッドに寝たきりになっていた。 昨夜、一晩中池に浸かっていたせいで、風邪を引いてしまったのである。いくら夏と はいえ、夜半の水遊びはさすがにまずかったようだ。 「どうせ、池に映る自分に見蕩れてたんだろ」まさにナルシスト。 「そうでしょうね、ええ、そうでしょうとも」 清四郎は投げ遣りに言った。今更、事実は引っ繰り返しようが無い。 「でも、僕は全く覚えてないんですから」 「密かな願望ってヤツじゃないの?」 「……(否定できないのが、辛いところだ)」 自信過剰気味なのは本当だった。 「じゃあ、あたし、ちょっと出かけてくるね」 悠理が椅子から立ち上がると、清四郎の手がシャツの端を掴んだ。 「看病してくれないんですか?」 「……コンビニで、アイス買ってきてあげようと思ったの」 「なんだ、そうか」 一瞬、すごく嬉しそうな笑顔を見せて、清四郎は手を離した。何とも言えない愛しさに、 悠理は彼の額にそっとキスを落とした。熱い。 「今日は随分と優しいんですね」 「病人だからだよ。……それじゃ、ダッシュで行ってくるから!」 頬を赤くして部屋を出て行く彼女の背に向って、清四郎は小さく手を振った。 その頃、魅録と野梨子は、松竹梅の家に向ってトコトコと歩いていた。 「あったま、いて〜」 「大丈夫ですの、魅録」 「う、うん、まあな……痛むけど、水飲んで寝てりゃ、すぐ治るさ」」 そう言いつつ、魅録は昨夜の記憶を必死に思い出そうとしたが、案の定全く思い出 せない。だが、自分が何をしたかは分かっている。嫌と言うほど。 自分たちの性癖が発覚したのは、高校一年生の頃だった。ディスコで酒を飲み、歯 止めが利かないまま限界まで行ったところで、三人揃って仲良く暴走したのだ。 魅録と美童はまだ良かった。逆に相手の女性には喜ばれもしたのだから。だが、清 四郎はまずかった。ディスコの鏡という鏡(果てはミラーボールまで)を割りまくったので ある。完全な異常者だ。後で、その様子を映した防犯カメラを見せられて、三人は酒を 絶つ……まではいかなかったが、極力抑えようと誓ったのだった。 しかし、ある意味では、美童や魅録の性癖の方が問題ではある。何せ相手は生身の 人間なのだ。実害は、器物損壊より大きいかもしれない。 (野梨子……オレのこと嫌いにならんだろうなあ) 魅録の心配はこの一点に尽きた。親子ほどに歳の離れたオバサンに異常反応して しまう己の変態さ加減に、彼女が愛想を尽かしはしまいか。ただそれだけが気がかりだ った。 「野梨子、その〜、あのな」 「はい」 「オレは、酔っ払うと、あんな風になっちまうけど、ん〜、なんというか……」 TOO SHY SHY BOY!である魅録は、言いよどんだ。この先を口にするのは恥ずか しすぎる。だが、そんな魅録を見て、野梨子は優しく微笑んだ。 「分かってますわよ、魅録」 「へ?」 「あれは、本当の魅録であって、本当ではないの。魅録が私のことを好きでいてくださ ってるのは、ちゃんと知っていますわ」 「そ、そうか……そうかぁ」 でへへ、と魅録は脂下がりそうになったが、必死で堪えた。太陽が目に眩しいぜ。 「お家に帰ったら、私、介抱してさしあげますわね。せっかくの休みなんですもの」 「お、おう!早く治して、色んなとこ、遊びに行かなきゃな!」 「ふふ、そうですわね」 ミンミン蝉が鳴きだす道を、二人は仲良く寄り添って歩いていった。 仲良し二人組みとは反対に、こちらは天下の往来で罵り合っていた。いや、男が一 方的に罵られていた。 「もお信じられない、美童ったら。何度見ても引くわよね、あれには」 「そんなこと言ってもさあ、仕方ないじゃん!」 「どうして、あんたはマゾなのよ、意味分かんないわよ」 「僕にだって分からないよぉ」 「潜在的な欲望なんじゃないのぉ?本当はあたしにぶたれたかったりしてさ」 「違うよ〜!そんなことないってばあ!」 スタスタと先を行く可憐を、美童は必死に追い駆ける。 最近ようやく想いが通じた恋人を、こんな情けない形で失うわけにはいかない。 「僕は至って、ノーマル!苛められるよりは、女の子を苛める方が好きだもん」 「……なんですって?」 ブリザードの視線を向けられて、美童は己の失言を悟った。 「あ、違う違う!ノーマルなのは本当だけど、僕は可憐一筋!可憐に優しくするのが好 きなんだよ!!」 「ふ〜ん」 つーん、とそっぽを向いて、華やかな彼女は歩いていく。道行く男たちの視線を釘付 けにして。美童は気が気でない。 可憐の前に回りこむと、深〜く頭を下げた。 「悪かったよ、本当に。もう絶対、あんな醜態は見せないから!お酒もきっぱりやめるか ら、許して!!」 「……あれ」 と、可憐はある一点を指差した。そこは一軒の花屋。 「あのバラを全部プレゼントしてくれたら、許してあげてもいいわ」 「えっ、本当に!?」 可憐はこっくりと頷いた。美童は花屋にマッハのスピードで駆け込む。 「そこのバラ、全部花束にしてください!!」 しばらくして、美童は巨大な花束を持って花屋を出た。ここまで来ると、最早、綺麗云 々という代物ではない。ただただ巨大な花束、それだけである。 「はい、可憐♪」 「そんな重いもの、あたしが持てるわけないでしょ。あんたが持ってなさいよ」 「う、うん、わかったよ!」 美童はよいしょ、と花束を持ち直した。我ながら、ボクって健気だなぁと感動する。 「それじゃ、行くわよ」 可憐はまたしてもスタスタと歩き出した。 「え、どこへ?」 「決まってるじゃない、デートよ、デート!」 背を向けている可憐の、照れたように染まる頬を、美童は容易に想像することができ た。やっぱり、可憐って可愛い! 「よーし、じゃあどこへ行こうか!」 意地っ張りな恋人の傍へ駆け寄ると、美童は華奢な腕をそっと引き寄せた。 秋里和国の「それでも地球は回ってる」パロ。 いかにも夜中に一気に書き上げたっつー感じの話。テンション高いな〜、妙に。 ナルシは、美童かなとも思ったんですけど、清四郎の方が天空ちゃんのイメージに 近いので、そうしました。 最後は、3カプで綺麗に(どこがだ)終わってみましたよ。 BACK |