別れ話は最後に



 あれほど、お互いを思いやり、愛し合った二人が、今は秋の空。
 顔を見れば、腹が立ち。口を開けば、もっと腹が立つ。


 埠頭を渡る風が、二人の間を流れていく。
「……もう、終わりだな、あたしたち」
「どうやらそのようですね」
「なにが、『そのようですね』だよ。気取りやがって」
「君こそ、その下品な言葉遣いをいい加減、直したらどうです?いつまでも子供じゃな
いんだから。若いつもりでいるのかもしれないが、来年は、もう二十六歳だろう」
「うるさいな!あたしが二十六なら、清四郎だってそうだろーが!」
「僕は年相応に見えますから、問題はありません。悠理は、とても二十六に見えないガ
キっぽさだ。まったく滑稽ですよ」フッ。
「……っ」
 悠理は拳を握った。

(滑稽と来たか。また小難しい単語使って……)

 よくもまあ、この目の前の嫌味な男と、六年間も交際してきたものだと、悠理は自分を
自分で褒めてやりたい気持ちになった。
 反撃を開始する。
「ちょっと待てよ!今、年相応って言ったけどさ、お前、どう見ても二十代には見えない
ぞ!」
「なんだと?」
 清四郎の整った眉がピクリと動いた。彼の胸中に小さな波が立ったらしい。
「だからさあ、あたしがガキっぽいって言うんなら、清四郎はオヤジくさいってえの!!」
「誰がオヤジくさいってぇ」
「お前だよ、お前!」
 悠理がビシ!と指差すと、清四郎は「ちっ」と小さく舌打ちをしたようだった。これが、こ
の男の地である。
「それは、聞き捨てなりませんね。悠理、お前は何か考え違いをしているようだな」
「そんなことないよーだ。お前、高校の頃から……いや、幼稚舎の頃から老けてたもん
なあ」
「そんなはずはない」
 と、いきなり清四郎は自らの頭に両手を伸ばし、綺麗にセットされていた髪をぐしゃぐ
しゃと掻き乱し始めた。
 悠理は吃驚仰天である。
「お、おまえ、なにやってんだよ!?」
 そんな彼女の前で、ひとしきり髪をぼさぼさにさせた清四郎は、やがて悠理に向き合
った。
「おまえは間違っている。……なぜなら、僕は童顔だからだ!」
「うっ」
 悠理は言い返すことができなかった。確かにその通りだったからである。
 普段、髪をきっちり上げているので、うやむやにされているが、清四郎は女装してもそ
れなりに仕上がるくらいに、可愛い顔立ちをしているのだった。
 前髪を下ろして、少し若くなった清四郎は、氷の視線を悠理に投げてくる。
「この僕が、老けているなどと、とんだ勘違いですよ」
「つか、そこまでして、自分が若いってことを証明しようとするお前が、一番滑稽じゃん」
 ギク。清四郎の肩が少し強張った。痛いところをつかれたらしい。
「……真実を追究するということは、いつの世でも人々の目には滑稽に映るものですか
らね」ああ言えば、こう言う。
 悠理は、清四郎に背を向けた。
「ふん!もうおまえとは喋りたくない!じゃーな、バイバイ!!」
「それは結構。僕だって、おまえのような野蛮人とは、一秒たりとも一緒にいたくはない」
 背中越しに聞えてくる声が、悠理の胸に突き刺さる。
 ――どうして、あたしたち、こうなっちゃったのかな?
 今更な疑問が浮かんできたが、それは、デッキを降りていく清四郎の靴音に掻き消さ
れた。
  

 清四郎が去っていったあと、悠理はしばらく海を眺めてぼんやりしていた。
 ここは、初めて彼とデートした場所だった。
 初々しいカップルだった二人が砂浜を歩いていたら、いきなりジャパニーズマフィア
の車が突っ込んできて、大騒動になったのも、今は懐かしい思い出である。どんな思い
出だ。

(さよなら、あたしの初恋……)

 ソーロング・マイ・ファーストラブ。美童なら、そう言うかもしれない。悠理は数少ない
英語の知識を振り絞って、そう思った。


「んげ!!」
 デッキを降りて、バスの停留所へ行った悠理は下品な声を上げた。
 目線の先に、見覚えのある黒いコートを着た『若い』ぼさぼさ頭の男が一人いるでは
ありませんか。清四郎である。
 悠理は停留所のベンチに腰掛けている彼を見下ろした。
「おまえ!どうして、まだここにいるんだよ!!」
「バスが来ないんですよ」
 清四郎は憮然とした顔で言った。
「言っておくが……おまえを待っていたわけじゃない。それだけは誤解しないでくれ」
「誰がするか!」
 憤然として、悠理は清四郎から一番離れたベンチに座った。  
 
(ちくしょう、名輪に迎えに来てもらおう……)

 コートのポケットから携帯電話を出すと、悠理は自宅への番号を押した。
「あ、もしもし。あたしだけど……。うん、迎えに来て。よろしく、そんじゃーね」
 用件を告げ終わって、再びポケットへ戻そうとしたとき、
「あわっ!」
 つるりん、とシルバーの電話は、手から滑り落ちてしまった。足元の排水溝の中に。
「あーーッ!!」
 ムンクの叫びさながらに喚く悠理を、清四郎は渋い顔で見遣った。
「うるさい人ですね」
「携帯が落ちちゃったよー!……あ」
 思わず、今までと同じように助けを求めようとした自分に気付き、悠理は口を押さえた
が、清四郎はこちらへ歩いてくる。
「どこに?」
「……ドブん中」
「おやまあ」
 全然真剣味のない声で呟いた清四郎は、手を後ろで組んでドブの中を覗いた。
 銀色の物体が水の底に沈んでいるのが見える。
「本当だ。ああ、やってしまったな」
 その声の響きが、自分を馬鹿にしているような気がして、悠理は機嫌が悪くなった。
「どうせ、あたしはバカだよ」
「そんなこと言ってないでしょうが」
「目がそう言ってるもん!……いつも、思ってるくせにぃ……」
 もう別れを決めてスッキリしていたはずなのに、悠理は切なくなってきてしまった。
 まだ、自分は清四郎に理解されたがっている。清四郎を取り戻したがっている……。
 唇を噛む悠理を見て、清四郎は「ふうっ」と溜息をついた。
「ここへ来て、喧嘩をするのはよしましょう、ね」
 そんな彼の仕草を見て悠理は先程の切なさを上回る怒りを感じた。

(こんにゃろう、いつもこうだ!自分だけ、被害者面しやがって!!)

 自分たちの喧嘩は、いつもこのパターンだった。仕掛けてくるのは決まって清四郎な
のに、何故か最後は、彼が折れるという結果になる。その度、悠理はハメられたような
気持ちになったものだ。
 悠理はふいっと顔を背けた。『もうお前とは口を聞かないぞ』という意思表示のつもりだ
った。長い付き合いの清四郎はもちろん心得ていて、彼もそれ以上話しかけてこようと
はしない。

(そーだそーだ!もうおまえみたいな厄介なヤツに関わり合いになるのは、ご免だい!)

 内心悠理は毒づいた。清四郎に色々と扱き使われた過去が走馬灯のように頭を駆け
巡る。やっぱ別れて正解だわ、そう思ったとき、清四郎がおもむろに体を屈めて、排水
溝の蓋を引っ張り上げた。
 ぽかんとする悠理の前で、清四郎はコートを脱ぎ、スーツの袖を捲くっている。彼のや
ろうとしていることが分かり、悠理は慌てた。
「え?い、いいって!自分で取るってば」
 止めようとする悠理の手を、清四郎は払った。
「いや、こんなことを自分の彼女にやらせるわけにはいかない」
「カノジョ?」
 聞き返すと、清四郎は表情を変えないまま、目線を落ち着き無く動かし、やがてつま
らなそうに言った。
「元彼女って言わせたいんですか」
「だってさ……」
 後は言葉にならなかった。
 俯く悠理の前で、清四郎は無造作に排水溝の中へ手を突っ込む。と、
「うわ!」
 肘から、排水溝へ落ちた。何故でしょう。体を支えるのに左手を乗っけていた蓋がず
れてしまったからである。
 泥混じりの飛沫が、清四郎の白皙の頬に点々とついた。
「くっ、なんということだ……なぜ僕がこんな目に」
 ぶつぶつ愚痴りながら、清四郎は身を起した。ちゃんと右手には悠理の携帯を握っ
ている。
「ごめん、ありがとう」
「触るな!」
 携帯を受け取ろうと悠理が手を出すと、何故か一喝されてしまった。
「な、なんで」
「おまえの手まで汚くなるだろう。それじゃ、僕がここまで汚れた意味がない」
 彼は大真面目だ。悠理は素直に手を引っ込めた。
「さーて」
 携帯を綺麗に拭き終わると悠理に渡し、清四郎は立ち上がった。ドブ色の水が右肩
から腕へ滴り落ちている。はっきり言って今の彼の姿はちょっと凄かった。
 髪はぼさぼさ。右上半身はずぶ濡れ&泥塗れ。普段のパーフェクトな姿とはあまりに
懸け離れている。   
 また凄いのは、彼がそのまま、脱いであったコートを羽織ろうとしていることだ。悠理は
その高そうなダッフルを清四郎から引き剥がした。
「バカ、お前!今着たら、このコートもクリーニング行きになるだろ!!」
「……確かに」
 初めて気が付いたらしい清四郎は、大人しくコートを悠理に預けた。いつもと役割が
逆転している。
「ったく、ボケッとしちゃってさあ」
 コートを半分に畳んで、腕に掛けると、懐かしい香りが悠理の鼻先を掠めた。
 それは、清四郎が使っている香水の匂いだった。
「……」
 じわ、と目の奥が熱くなった。
 ――このコート……返したくない。清四郎の形見にしたい。(死んでない)  
 悠理が持つ手に力をそっと込めたとき、一台の派手な車が停留所に乗り入れてきた。
 あの、悠理にも分かる悪趣味さ。間違いなく剣菱のリムジンだ。
「ここ、ここ!」
 手を上げると、車はぴたりと二人の前で止まった。
 運転席から、お馴染みのドライバー名輪が降りてくる。彼は、清四郎の姿を認めると、
ギョッと肩を揺らした。悠理と清四郎の不仲は、もう剣菱の家でも周知の事実となってい
る。だから、名輪は二人が一緒にいることに驚いたのだ。
「あ、これはご無沙汰しております。菊正宗様」
「どうも……」
 清四郎の口調も歯切れが悪い。もう剣菱の家からは何ヶ月も遠ざかっているのだから
無理は無かった。 
「それじゃ、僕はこれで」
 バスを待っていたはずなのに、停留所から去ろうとする清四郎の腕を、悠理は咄嗟に
掴んだ。
「待ってっ!……その格好で、帰るつもりかよ。送っていってやるってば」
 悠理の言葉に、清四郎は自分の姿を見下ろした。どう見ても、酷い格好である。
 しばし考えているような間のあと、清四郎は「お願いします」と、言った。


 車中を、沈黙が支配していた。
 清四郎は車が発進した直後から、窓外に目を向けたまま黙ったきりだし、名輪も、こち
らに気兼ねしているのか、まったく喋ろうとしない。
 悠理は自覚なく、清四郎のコートに頬を寄せた。

(あったかい……)

 だが、二人の仲は冷え切っている。
 どうして、どうして、と問いかけてみても、多分こうなったのに明確な理由はない。
 お互いが、お互いに甘えすぎた。そういうことかもしれない。
 耳に痛い沈黙に耐え切れなくなった悠理は口を開いた。
「お前……群馬にはいつ行くんだよ?」
 大学卒業後、剣菱に入社した清四郎は、来年度異動することが決まっていた。
 窓を向いたままの清四郎の肩がぴくりと動いた。
「群馬に行く予定はありませんが」
「え、でも。秩父に行くって言ってたじゃん!」
「秩父は」  
 と、彼は世にも冷たい目で悠理を見た。
「埼玉県です」
「……そ、そうだっけ?」
 ずっと群馬県秩父市だと思っていた……。ここへ来て、自らの無知を披露してしまっ
た悠理。まあ、これくらいで清四郎は驚きはしないだろうが。
「でさ、その埼玉県秩父市にはいつ行くことになるんだよ」
「秩父には行きません」
「へ?でも前、異動になるって……」
「場所が変更になりまして、アラスカへ行くことになりました」
「はあ、あらすか……アラスカぁ!?」
 悠理は喚いた。
「な、なに言ってんの!?アラスカに剣菱は無いだろ!!」
「それがですねぇ。今度、剣菱の食品部門が進出することになりまして。僕はキングサ
ーモンの知識を早々に身につけなければならないんですよ」
「あ、あ」あんぐり。
 あまりに衝撃的な事実に、悠理は言葉を発することができなくなってしまった。
 反対に、清四郎は俄かにしんみりとした口調で話し始めている。 
「そういうわけで、悠理とも本当にお別れです。日本にいれば会うこともあるかもしれま
せんけど、カナダじゃねえ……。いや、アメリカか」
「……ていうか、どうしてお前そんなに、余裕ぶってるんだよ!」
 と、悠理が清四郎に詰め寄ったとき、車が急停止した。体が軽く前のめりになる。
「おっとっとぉ。いきなり止まるなよ!……あら?」
 車が止まったかと思うと、いきなり後部座席のドアが開いて、目だし帽を被った見知ら
ぬ男が乗り込んできた。
「誰だ、おまえら!!」
「カージャックだべ!」
「おめえ、剣菱家のお嬢様だべな!わりぃけど誘拐させていただくべした!」
 いつの間にか、運転席にも仲間らしき覆面の男が座っていた。窓の外を見ると、いつ
の間にか追い出されたらしい名輪と清四郎が呆然とした様子で立っている。
「ちょっ……」
「早く発進するべした!!」
「ラジャー、だべ!!」
 助けを求めようと窓に手を伸ばした途端、車は猛スピードで走り出した。見る見るうち
に二人の姿が遠ざかっていく。

(このドタバタ……久々だ)

 誘拐なんて、ここ何年も無かったことだったので、悠理は少し頭が痛くなった。
「……ったく、あたしのこと誘拐したって、無駄だと思うけど」
「どういう意味だべ。随分強気じゃねえですか」
 隣に座っている目出し帽男が揶揄するように笑った。
「可愛い娘が攫われたんだべ。剣菱なら、十億くらいすぐに出すべしたー」
「違う違う。あたしの仲間が、すぐに助けに来てくれるか……ら……」
 はっ。悠理の顔が強張った。
 ――あいつは。……清四郎は果たして、自分を助けに来てくれるだろうか。

『おまえのような野蛮人とは、一秒たりとも一緒にいたくはない』
 
 そんな彼の言葉を思い出して、悠理の胸がずきんと痛んだ。
 今や、憎み合っているかのような二人。
 恋心が消えたら、そこにはかつての友情だって残ってはいないのではないか。
 失おうとしているものの大きさに、悠理は初めて気が付いたような気がした。 
 いつだって誰より一番頼りにしている。自分が最初に求めるのは彼しかいない。  

(清四郎……)

 諦めとともに、心の中で名前を呼んだ時、ハンドルを握る覆面男が「ギャッ!」と叫ん
だ。
「な、な、なんだべ、あれは!?後ろを見るべした!!」
「えっ?」
 隣の目出し帽と一緒に、リアウインドウを振り返った悠理は目を疑った。

 ――安全第一。

 黄色い工事現場のヘルメットを被り、出前機を搭載したスーパーカブで、清四郎がこ
の車を追い駆けてきていたのである。もの凄いスピードだ。
 悠理は窓を開けると、外へ乗り出した。
 何故、安全第一ヘルメットを被っているのか、あのバイクはどこでかっぱらってきたの
か。そんなことはどうでも良かった。彼が自分を助けに来てくれたという事実だけが、悠
理には重要だった。
「せいしろうーっ!!」
 手を振ると、彼も何事かをこちらへ向って叫んでいる。
 ああ、声が聞きたい。これほど好きな人は、この世に誰一人としていない。   

 しばらく、リムジンとカブの追いかけっこは続いた。

「あの変なサラリーマン、いつまでついてくるつもりだべ!」
「ちょっと怖ぇなあ〜」
 確かに、工事現場のヘルメットを被り、右半身は何故か泥だらけという清四郎は、得
体の知れない脅威を感じさせた。
「うおっ!すっげえ近づいてきたべ!!」
「あぶねえ、ぶつかるぞ!!」
 追突しそうな勢いでスピードを上げるカブを避けようと、覆面男は慌ててハンドルを切
ったが、急なことで車はスピンし、道路脇の電柱にぶつかった。その直後、清四郎の乗
ったカブも、目標物を見失ったミサイルのように、ゴミ捨て場へ突っ込む。
 ぷすぷすとボンネットから煙を出している車から、悠理は慌てて飛び出した。
「清四郎!」
 ゴミ袋の上から、清四郎はよろよろと立ち上がった。外れかけて首の辺りに引っ掛かっ
ているヘルメット。乱れた髪には魚の骨が刺さっている。まるでコントのような姿だったが、
表情は真剣な色を帯びていた。
「……無事だったか、悠理」 
「あたしは大丈夫。それよりおまえの方が心配だよ」
「平気だ、これくらい」
 そう言うそばから、清四郎のこめかみの辺りから血が流れ出す。
「わっ、わあ!血ぃ出てるよ!!」
「平気だ、これくらい」
 さっきと同じこと言ってる清四郎。あまり平気そうではない。
 悠理は慌ててハンカチを取り出し、その傷口に押し当てた。
「ごめん……。あたしなんかのために」
「謝る必要はない。当然のことをしたまでです」
「でも、そんな怪我して……」
「……悪いと思うなら、悠理」
「うん?」
 ハンカチを当てていた悠理の手を外し、清四郎は優しく両手で包み込んだ。
「僕と結婚してください」
「へ」
 いきなりすぎるその言葉に悠理は呆気に取られた。さっきまで別れ話をしていたのだが。
「あ、あたしみたいな野蛮人とは一緒にいたくないって言ってたじゃん!」
「あれは」
 と、清四郎は言いよどんだ後、少し顔を赤らめた。
「愛情の裏返しですよ。……とにかく!僕をこれほど、ずたぼろにできるのは、おまえ以
外にはいない」
「そ…お?」
 ――微妙な褒め方だった。
「色々、酷い喧嘩もしたが」
「……そうだね」
「どんなに気が合わなくても、おまえには、やっぱり僕が必要だ」
「逆だろ」
「逆じゃない」
 偉そうに言っているが、清四郎のこめかみからは血がだらだら流れている。 
 もっと普通の状況でプロポーズしてくれよ。悠理は思ったが、自分たちらしいと言えば、
自分たちらしい。
「とりあえず、血を止めろってば」
「いや、先に返事をくれ」だらだらだら。 
「……分かったよ。結婚してやるよ、仕方ないなー」
 なんだ、この返事。
 だが、清四郎は嬉しそうに顔を輝かせた。
「そ、そうか!そうですかぁ……」
 急に子供っぽい笑顔を見せるから、悠理はずっこけそうになる。
 疲れるヤツだ……。お互い様だが。
「ほら、返事してやったんだからさ。これ当てとけよ」
「はい」
 悠理からハンカチを受け取り、清四郎は傷口に当てた。
「本当にだいじょーぶ?」
「血が出てるだけですから、命に別状はないでしょう」
 さらりと言う彼の横顔が、西日に照らされている。見上げながら、悠理は不思議な気
持ちになった。

 ――こいつと結婚するのか……。

「なに、じろじろ見てるんですか」
 ふと見下ろしてくる怜悧な瞳は、子供の頃から変わらない。いつも嫌味で、一見、優
しいところもないような人だけど……。
 悠理は緩む頬を隠そうと、俯いた。
「ううん、なんでもない。……そうだ!結婚するってことは、あたしもアラスカに行くんだ!」
「ああ、アラスカね……」
 清四郎は急に落ち着き無く、悠理から視線を逸らした。  
「アラスカ行ったらさー、犬ぞり乗ったり、いっぱい遊ぼうね♪」
「……」
 ついには黙り込み、背中を向けてしまう清四郎。悠理は眉をひそめた。
「どうしたんだよ」
「……アラスカには行かない」
「はあ?どういうこと」
「あれは……嘘なんだ」
「なっ……なんで、そんなウソつくんだよ!!」
「なんでと言われても。まあ、言葉の勢いってやつで」
 決まり悪そうに顎の辺りに手をやる清四郎の、頬が赤くなっているように見えるのは気
のせいだろうか。西日の所為ばかりとは思えなかった。
 パトカーのサイレン音が近づいてきた。誘拐犯たちは、未だ車の中で伸びている。
「悠理」
「なに?」
 呼ばれたので素直に顔を上げると、不意打ちのようなキスをされた。
 目を閉じる暇も無く、清四郎の唇は離れていく。
 悠理の鼓動が、自分でも驚くほどに早くなる。随分とご無沙汰だったもので。
「……ばぁか」
 呟いて、悠理は清四郎の肩を小突いた。自分をこれほどオトメにさせるのは、こいつ
しかいない。――弱味を握られるのも当然だ。
 清四郎は黙って明後日の方向を向いている。外でキスするなぞ、もってのほかの彼だ
から、己の行動に照れているのかもしれなかった。
 二人して、もじもじしていると、ようやく数台のパトカーがやってきた。その中の一台か
ら下りて来た魅録が、こちらを見て目を丸くしている。
 悠理と清四郎は、ぎこちなく彼に向って手を振った。  





BACK

 
奇妙奇天烈でボロボロな格好をした清四郎が書きたかったのさ!