いつもと変わりない退屈な放課後。悠理は常と同じように、生徒会室に顔を出すことにし
た。キィと見慣れた白い扉を開けると、中はガランとしていた。

(なんだ、まだ誰も来てないのか……)

 そう思い、フラフラと部屋へ入りテーブルに鞄を投げ出したところで、窓辺のカーテンの
裾から男子生徒の足が出ているのに気がついた。
「!!」
 さしもの悠理もギョッとして、しばし固まってしまった。臙脂色の分厚いカーテンから足だ
けがニョッ、と出ているのは、かなりシュールな光景である。
 ようやく心臓の鼓動も落ち着いてきたころ、悠理はその足に近づいていった。
「ん?」
 悠理は眉をひそめた。この綺麗に手入れされている革靴には見覚えがあるような気がし
たからだ。
 えいやっ、と悠理はカーテンを捲った。すると、足の持ち主の姿が現れた。
「……清四郎?」
 そこには、椅子に腰掛けて眠っている清四郎がいた。開け放たれた窓から吹き込む秋
風に、前髪が揺れている。

(めーずらしい〜)

 悠理はまじまじと、その貴重な姿を眺めた。いつも生徒の模範として通っている生徒会長
が居眠りとはね。
 完全に寝入っているらしい今の清四郎は、ひどくあどけなく見えた。
 半開きになった口。無防備に投げ出された左手。長い足は頼り無げに白い靴下を晒して
いる。

(……可愛いじゃんか)

 悠理はにまにまと笑った。いつも自分をバカにしているが、清四郎だって、まだまだ子供
じゃん?
 普段なら絶対に拝めない寝顔を見ているのが、何だか楽しくて、悠理はそのまま観察を
するようにジーッと清四郎の顔を見つめた。

(こんなハッキリとコイツの顔を見たの、初めてだ)

 男にしては色白の顔は、吹き出物一つない綺麗なものだ。閉じられた瞼を縁取る睫は長
くて悠理にも、素直に綺麗だと思えた。

 ――そう。清四郎は綺麗な顔してる。

 大きな黒い瞳は、腹黒いくせにキラキラと澄んでて、目が合うと、時々どきりとする。あの
瞳を確認するたび、どんなに意地悪をされていても「やっぱり清四郎は正しい」と、思わさ
れてしまうから、ずるいんだ、と悠理はいつも思っていた。

 ……あの目が見たいな。

 閉じられている瞼を見ながら、悠理は焦がれるような気持ちで思った。

 ――笑ってるときも、怒ってるときも、困ってるときも、清四郎の目は嘘をつかない。
   たった一つ、何か本当のことを、その輝きに湛えているみたい。

 秋の、どこか冷たい陽光に照らされた清四郎の顔に、悠理はそっと手を伸ばした。風に
晒されて冷えた頬を辿り、こめかみを通って瞼に触れると、ぴくりと彼は身じろぎした。
「わっ」
 何故だかすごくびっくりして、悠理は手を離した。胸に当てた指に、心臓の激しい鼓動が
伝わってくる。

(おいおいおい!すっげえ、ドキドキしてるよ、あたし!!)

 はあ、と溜息をつく悠理の前で、清四郎は眠ったままでいる。いつも悠理を馬鹿にするば
かりの唇が、今は物も言わずに微かに開いている。
 そのときの気持ちはちょっと、言葉にできない。
 悠理は彼の顔を覗きこむように屈むと、頭を傾けてそっと唇を重ねた。

 ……あ。

 触れたと思った瞬間、今まで覚えのない感情が胸の底から湧き上がって来た。
 弾かれるように悠理は清四郎から離れた。彼はまだ目を瞑っている。
「……」
 胸の前で両手を重ねた、彼女らしくない少女っぽい姿勢で清四郎の顔を見つめていると、
ゆっくりと彼が目を開けた。
 こんなじろじろ見てたら、駄目だ。そう思って目を逸らそうと思うのだが、悠理の目は縫い
止められたように動かすことができなかった。

 ――吸い込まれそう。

 黒い瞳が一度瞬きした。悠理のことを見つめ返してくる。

(寝惚けてんのかな)

 あまり感情の伺えない眼差しに悠理が思ったとき、清四郎が呟いた。
「悠理か」
 悠理は頷いた。清四郎は悠理から視線を外すと、傾いていた姿勢を正して椅子に座りな
おした。
「お前、すっごい熟睡してたぞ」
「……蝶かと思った」
「は?」
 首を傾げる悠理をしばらく眺めた清四郎は、ぼんやりと窓の外へ視線を移した。
「いや、なんでもない」
「……清四郎」
「なんだ」 
「ずっと寝てたよな?」
「……」
 清四郎は疲れたように目を伏せて、
「ああ」
 と、言った。



 
 
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