桃太郎 その家の庭では、最近怪しい光景が繰り広げられていた。 総髪を結い上げた若者が、日夜刀を振り回し、何事かを喚いているのである。 「やあやあやあ、我こそは桃から生まれた桃太郎!鬼どもめ、神妙にお縄を頂戴しろい」 そこまで言って、清四郎は眉を下げた。 「父上、母上。これ、何か違うと思うんですけど……後半が」 「あら、そうかしらね」 「僕はいいと思うけどなー、カッコ良いじゃん!」 彼の父と母は、全く気にしていない様子で、あははは!と笑った。そんな両親の姿を 見て、清四郎は密かにため息をつく。 彼は十八歳。桃から生まれたという、世にも珍しい男である。そんな彼を赤子の折か ら育ててくれたのが、養父母の美童と可憐だった。 二人とも、もう四十に手が届こうかという年齢だったが、外見は二十代のような若さを 保っていた。不老不死の秘薬を持っているとか、整形手術を繰り返しているなどの根も 葉もない噂はあったが、理由は定かではない。というか、あまり気にしないでほしい。 ここで、お知らせしよう。彼らは、なんと……来るべき鬼退治の日の予行演習をして いるのであった!恐ろしいほどの閑人である。 美童は長ーい金髪をサラサラと手で梳きながら言った。 「せっかくの晴れ舞台なんだからさ、やっぱり決め台詞は欲しいよねー」 「僕は恥ずかしいですよ」 「恥ずかしいなんて言ってちゃダメよ!!せっかく、(見た目だけは)いい男に育ったん だからあ!」 可憐が力説するように、清四郎は誰もが認める美青年だった。 白く滑らかな肌に、すらりとした長身で、理知的な黒い瞳が印象的な、端整な顔立 ちをしていた。やれやれ、褒めるのも疲れるなあ。 「決めるときは、バーンと決めなさいよ!」 「うっ」 可憐にバーンと背中を叩かれて、清四郎は少しむせた。 「だから、この台本でしっかり練習して、鬼退治本番でトチらないようにしないとね!」 雪のように白い肌、月の光のような金髪をした、超ウルトラ級美中年である美童は、 持っていた冊子を、清四郎に渡した。 清四郎は、その「鬼が島の歩き方」という手作り冊子をじっと見詰めた。 「間違ってるよなぁ……やっぱり……」 一方、その頃の鬼が島。 「あ〜、腹減ったなぁ。野梨子、おやつまだぁ?」 ぐーと鳴る腹を押さえながら、栗色の髪をした鬼が言った。彼女の名は悠理。十八歳、 ティーンエイジャーの鬼。 そこへやってきたのは、艶やかな黒髪を肩の辺りで切りそろえている美少女だった。 名前は野梨子。彼女もまた鬼であった。悠理の母である。外見が若いのは、まあ気に するな。 「さっき、食べたばかりじゃありませんの!まったく悠理がいると、エンゲル係数が高く なって仕方がありませんわ」 ぷりぷりと怒っている。食欲の権化である悠理のせいで、鬼たちの家計も苦しいのだ。 野梨子は、ソファーで機械弄りをしている青年を見遣った。 「魅録からも、なんとか言ってやってくださいな」 「ん、ああ。そうだな、悠理ダメだぞ!」超適当。 メカならなんでもござれの、この男。名を魅録という。悠理の父だ。鬼の中の男と呼ば れたもんさ。 ため息をつき、部屋を出て行こうとする野梨子の袖を、悠理は掴んだ。 「ねー、野梨子、おやつにしようよー」 「悠理、ダメだぞ!」 「ねえねえ。お腹すいたよお」 「悠理、ダメだぞ!」 「……!」 わっ、と野梨子は顔を両手で覆った。 「ああ、もう私耐えられませんわ、こんな生活!」 「な、なんだよ。どうしたんだよ」 ようやく魅録は機械から目を上げた。野梨子がはらはらと涙を流している。……悠理 は台所を漁っている。←こいつはほっとこう。 「野梨子……」 魅録はソファーから立ち上がり、野梨子の肩をそっと抱いた。 「なぜ泣くんだよ。理由を聞かせてくれ……」 「だって、魅録。悠理の食欲が、あまりに凄くて……もう、私、どうしようかと」 「そ、そうだな。確かに悠理の食欲は凄い。それは認める」 「このままでは、我が家は破産してしまいますわ」 「なにィ!?そんなに酷い状況なのか!」 魅録、ビックリ仰天。野梨子は力なく頷いた。 『……』 二人は無言で、台所の悠理を見た。 そろそろ……年頃だし、嫁に行ってもいい時期だよね……? そんな両親の思惑も知らずに、悠理は無邪気にクッキーを頬張っている。 「うう、でもやっぱ可哀そうだなあ」 「だからって、このまま時期を逃したら、一生家にいることになりますわよ!そうなったら」 と、野梨子は息を吸った。 「私たちの生活は、破滅ですわッ!借金に次ぐ借金で、首が回らなくなって、一家心 中ですわよ!!」 「……の、野梨子…サン」 あまりの迫力に、魅録は思わず「さん」付けしてしまった。 「わ、分かったよ。何とかして、俺がいい嫁入り先を見つけてきてやる!」 「まあ、魅録……。やっぱりあなたは頼りになる方ですわ」 「任しとけ!」 ドン、と胸を叩いたものの、実際のところ、全く当てはなかった。 「では、行って参ります」 五月の晴れた日。清四郎は鬼が島へ向うべく、我が家の玄関を出ようとした。が、 「ちょっと、待ちなさいよ。あたしたちの支度がまだ終わってないんだからぁ」 「そうだよ、まったく清四郎はせっかちなんだからなー」 「え゛!ていうか、一緒に行くつもりなんですか!?」 清四郎は驚愕した。まさか両親と鬼退治?ファミリーで力合わせて鬼退治? 「あーら、そうに決まってるじゃなーい」 「我が子の晴れの日を、見逃すわけにはいかないよ!」 美童はリュックを背負い、デジカメを右手に持っている。行楽地のオヤジか。 「ちょっと清四郎!羽織にゴミが付いてるじゃないのぉ」 「あ、すみません」 化粧のパフを持ったままで、可憐は清四郎の服の埃を払っている。 (入学式の朝じゃあるまいし) これからの道中を想像して、清四郎は頭が痛くなった。 ――そして数週間後。街道を歩き、海を渡りし、三人はとうとう念願の鬼が島までや ってきたのであった! 船着場のすぐ傍に、「鬼が島」と書かれた看板が立っていた。それを見た美童は顔を 輝かせた。 「わお!鬼が島だって!記念撮影しようよ!」 「はあ?」 マジかよ。これは清四郎の心の呟きである。 「そうね、ほら清四郎、こっちに来なさいよ!」 可憐に引っ張られて、清四郎は渋々看板の前に立った。美童は、近くにいた鬼(!) に声を掛けている。 「すいません、お願いできますか?ここ押せばいいだけですから!」 戸惑う鬼にカメラを渡すと、美童は清四郎と可憐の傍に駆け寄ってきた。 「いえーい!清四郎、ちゃんと笑えよ!」 「は、はは…は……」 「スマイルよ、スマイル!」 「じゃあ、行くだがやー、はいチーズ!」誰だこれ。 カシャッ! カーテンの隙間から外を覗いていた魅録は、眉を顰めた。 「……なんだ、あいつら?」 見たことのない三人組が、立て看の前で写真を取っている。黒髪の男と、金髪の男と やたらに派手な格好をしたウェービーヘアの女だ。 「こんな島で記念撮影するなんて、アホじゃねえか」 人間どものやることは、理解できん。魅録は窓辺から離れた。 リビングのソファーでは悠理が横になって眠っている。 (こいつもなあ、黙ってれば美形なんだけど) やれやれと首を振ったとき、玄関の方から割烹着姿の野梨子が慌てた様子で走って きた。 「大変ですわよ、魅録!」 「どうしたんだよ」 「来たんですの、とうとう……」 「来た?……ま、まさか……」 「そうなんですの、桃太郎が来ましたのよ!」 「げ」 魅録は絶句したが、すぐに我に返り、外へ向って走り出した。 桃太郎……。それは、我々鬼の運命の敵。いつか来るいつか来る、と言われ続けて 四千年。とうとう来たか! ガラッ!と引戸を開けると、般若の面を被った謎の人物が立っていた。薄布を頭から 被りながら、こちらへ近づいてくる。 「ひとーつ、人世の生血を啜り、ふたーつ、不埒な悪行三昧、みっ」 「おまえ桃○郎侍かよ!!」 「……」 台詞を途中で遮られたことに気分を害したのか、その人間は面を外し放り投げた。白皙 の青年の顔が現れる。 「よっ、清四郎!」 「カッコいいわよ、清四郎ー!」 清四郎と呼ばれる青年の後ろで、金髪とウェービーヘアが囃し立てる。 「今気付いたけど、おまえら、さっき記念撮影してたヤツらじゃん!」 魅録のツッコミなど全く意に介さず、二人は魅録と清四郎の周りを、うろちょろうろちょ ろしている。 「よーし、ちゃんとビデオに収めなきゃね!」 「美童、失敗するんじゃないわよ」 「お、ここのアングルがいいかな〜?」 「父上、カメラの位置は、そこでよろしいですか」 清四郎はすらりと腰の刀を抜いた。 「やあやあやあ、我こそは桃から生まれた桃太郎!鬼どもめ、神妙にお縄を頂戴しろい」 「つか、おまえ、清四郎なんだろう。桃太郎じゃないだろう」 妙に冷静な魅録の指摘に、清四郎は少し怯んだが、すぐに刀を正眼に構えなおす。 「うッ。細かいことは気にしないでください!では、いざ尋常に勝負!」 「畜生、しかたねーな!」 魅録が刀を抜くと、清四郎は間髪入れずに切りかかってきた。 「チェストーっ!!」 「って、薩摩隼人かよッ!!」 つっこむことを優先させてしまった魅録の頬を刀が掠める。血が細く流れ出した。 それを見た清四郎は、「ふっふっふ」と笑った。 「これぞ秘剣、思わぬことを言って油断した隙に切っちゃうヨ!剣だ!!」 「なげぇーよ!!」またつっこんじゃった。 「……隙あり!」 「くっ!」 カキン!ぶつかり合った刀は互いに激しい衝撃を伝え合ったが、片方は耐え切れず 真ん中から折れて飛んでしまった。それは魅録の刀だった。 清四郎は目を細めた。 「万事急す、ですね」 「……まだまだ!」 容赦なく振り上げられる刀を、魅録は何とかかわしたが、じりじりと石壁の方へ後ずさ る。確実に押されている状況だ。 ついに背中に壁が当たった。キラリと光ったのは、刀か、それとも清四郎の瞳だった か。 「失礼致す!」 「……!」 (悠理、野梨子……すまない!(なんでか)俺はここで死んじまうみたいだ……) 魅録は目を瞑り、その時を待ったが、いくら待っても、その時は訪れない。 「ん?ん?なんだ?」 目を開けると、彼の娘が、細い腕に持った刀で、清四郎の刀を受け止めていた。 「ゆ、悠理!」 「こんのぉ!!」 ガッと悠理は刀を弾き返した。清四郎はしばし唖然とした顔をしていたが、すぐに 顎を引き、笑みを含んだ目で悠理を睨んだ。 「これはこれは……鬼のお坊ちゃま。真打ちの登場ですか」 その言葉に、悠理の頬が赤らんだ。 「誰がお坊ちゃまだ!お嬢様と言え!!」 「おじょうさま?」 清四郎が言い終わらないうちに、悠理は傍の石壁に風のように飛び移った。 「あたしの名前は悠理!勝負だ!!」 「牛若丸ですね、まるで」 清四郎は口笛を吹いた。 「いいでしょう。覚悟なさいませ、お嬢様」 「ぬかせ!」 悠理が壁から飛び降りると、清四郎は後ろへ素早く退った。 正眼下段に構えた彼の刀が、ゆらゆらと上下に揺れ出す。 「あ、あれは……秘剣「鶺鴒の尾」!!清四郎、カッコいいぞー!」 「さすが、私達の息子ね、美童!」 「ああ、可憐!」 (カッコ悪い……) いきなり現れるデジカメ両親に、清四郎のテンションは急降下した。 一瞬現れた隙を見逃さず、悠理が踏み込んでくる。 「とおりゃああああ〜!!」 「!」 白刃を紙一重で避けた清四郎だったが、視界の端に、何か黒いものが地面に落ち るのが見えた。それは、彼の結い髪の一房だった。 「……」 「へへーんだ!たいしたことないじゃん!!」 「なるほど」 笑う悠理に、そう切り返すや否や、清四郎は激しく刀を繰り出した。 「ひ、ひえっ!」 先程までとは比較にならない鋭い剣筋に、悠理は飛び退った。だが、すぐに剣は追 い駆けてくる。右へ左へ、上へ下へ。自由自在に、まるで生き物のように。悠理は、ち っとも反撃することができない。 「わっ、ぎゃ、ひゃっ!」 奇声を上げながらも、悠理はそれらの打ち込みを、かわし続けた。 あんまり彼女がしぶといので、そのうち、さすがの清四郎も息が切れてきた。 はあはあ、と肩を上下させながら、それでも彼の脳は目まぐるしい思考を続けていた。 (……なぜ、斬れない?…………僕は彼女のことを惜しいと思っているのか……) 清四郎は柄を握っていた手を下ろした。訝しげな顔をしている悠理に背を向けて、歩 き出す。 「お、おい!なにやってんだよ!」 「僕の負けです」 「は?え、あたしの勝ちでいいのぉ?」 「それで結構。……父上、母上、帰りますよ」 清四郎は、ポカンと口を開けている美童と可憐の背中を叩いて、促した。 「ど、どうしちゃったんだよ、清四郎!」 「そうよ、もう少しで勝てそうだったのに!」 「いいんです。鬼を退治しようなどと考えた、僕が傲慢でした」 清四郎は、ちらりと後ろの鬼ファミリーを振り返った。 「彼らは悪い鬼ではありません」 可憐と美童は顔を見合わせた。 「……そうね、確かに。悪そうには見えないわ。髪がピンクだけどさ」 「だね。それじゃ、家に帰ろうか!」 「はい」 そうして、家路につこうとした三人だったが……、 「ちょっと待ったあーー!!」 なんでか、頭がピンク色の男が追い駆けてくる。魅録だった。 三人は足を止めた。追いついた魅録はぜーはーぜーはーと息を切らせている。何を そんなに必死になっているのだろうか。 「おい、おまえ!」 「へ?僕ですか」 「そうだ、おまえだ」 魅録は清四郎のことをじっと見た。 「おまえ、言い交わした女とかいるのか?」 「な、なんですか、いきなり……。あなた、まさか僕と付き合いたいとか言うんじゃない でしょうね」 清四郎は慄いた。男からこういうことを聞かれるのは初めてではない。過去に数々の 苦い経験がある。 「んなわけねーだろ!ちげーよ!!」 魅録は喚いた。 「とにかく、おまえ女はいるのかよ」 「いませんけど」 「そうか、よし!いきなりでなんだが、悠理を嫁にもらってくれないか」 「嫁?」 「清四郎に?」 「冗談でしょぉ!」 突然の展開に、三人はぽかんとした。だが、魅録は至って真剣だ。我が家の存続が かかっているので。 「これは冗談なんかじゃない。悠理も年頃だしな。ずっと相手を探していたんだ」 「ええ〜、あの強そうなコが、僕の娘になるのぉ〜?」 「あら、いいじゃなーい。あたしは、あのコ結構気に入ったわよ。可愛いし」 「ちょっと待ってくださいよ。僕の意見はどうなるんです」 「あんたの意見なんか、どうでもいいのよ」 「そうそう。僕たち、ずっと清四郎が結婚なんて出来るのかなあって、心配してたんだ からね」 「心配されていたとは、知りませんでした」 清四郎は憮然とした。 「結婚相手くらい、自分でちゃんと見つけますよ」 「無理無理。あんたの性格、知ったら誰も来やしないわよ」 「どーいう意味ですか」 「そーいう意味よ。でも、その悠理ちゃんが嫌がったら、どうしようもないんじゃない?」 「その点に関しては大丈夫だ」 魅録は妙に自信有り気に、家の前にいる悠理と野梨子に声をかけた。 「おーい、決まったぜ!」 「まあ!悠理、OKだそうですわよ」 「ふ〜ん」 彼女たちは、トコトコとこちらへ歩いてきた。清四郎の前で立ち止まると、悠理は彼を 見上げた。 「そういうことだからさ、これからよろしくな。ま、せいぜい良い嫁さんやってやるから」 「はあ。では、僕も良い夫であるよう努力しましょう」 どうも展開が腑に落ちなかったが、清四郎は頭を下げた。 そうして、二人は末永く幸せに暮らしたそうです。めでたしめでたし。 途中で、話を収束する気力がなくなった……。 BACK |