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バードランドの子守唄 「どこへ行くんだ?」 気が付くと、目の前に清四郎が立っていた。右手に自在箒、左手に塵取りという、完 璧な掃除スタイルである。 右手に鞄、左手に靴という、完璧な下校スタイルの悠理は後ずさった。 「い、いや……そのぉ~」 「今日は、僕と同じ理科室の掃除当番だろう」 「う!……さいなら!」 逃げるが勝ち、と慌てて昇降口を出ようとした悠理だったが、 「ぐえ!」 すぐに掴まった。 清四郎は、悠理の制服の襟を掴んで、ずるずると校舎の中へ引っ張っていく。 「ちゃんと掃除しなさい、ちゃんと」 「ぐ、ぐるじい~!」 校舎の奥にある理科室まで来ると、清四郎はようやく悠理の襟を放した。掃除用具入 れのロッカーからボロボロの雑巾を取り出して、悠理へ放り投げる。 「わっ!顔に当たったじゃねーか!」 ぎゃあぎゃあ喚く悠理と打って変わって、清四郎はしらっとしている。 「拭いたら綺麗になるんじゃないですか」 「ばっ、バカヤロー!」 「もういいから。それで、水道のところを拭いてください」 「……へーい」 渋々従うことにした。同じクラスになってから、半月以上経過している。彼から逃げ切 ることが困難だということを、悠理は知っていた。 しばらくの間、二人は人気の無い廊下で、黙々と掃除に勤しんだ。 やがて、手洗い場をぴかぴかに拭き終えて、悠理が伸びをすると、清四郎が箒を持 ったまま、外の廊下を覗いているのに気が付いた。 「なにやってんの?」 悠理が後ろから肩をつついても、彼は反応せずに、廊下に目を向けたままで、「まさ かな」と、低く呟いている。 「なにが『まさかな』なんだよ」 相手にされないのがつまらなく、悠理が口を尖らせたとき、廊下の方から密やかな話 し声が聞えてきた。 ……本当に……ないのね。 ……じょうぶ。……いとたちは…っくに……帰ってるさ。 清四郎は、持っていた箒を素早く壁に立てかけて、悠理の手首を掴んだ。 何が何だか分からないうちに、彼は駆け出し、壇上の教師机の中に潜り込む。 「なにすん……!」 巻き込まれた悠理は抗議しようとしたが、清四郎の手に口を塞がれてしまった。気が つくと、後ろから彼に抱きすくめられるような体勢になっている。抜け出そうともがいても 腰にしっかり手が回っていて、動けない。 そうしている間に、先程聞えた話し声が段々近くなってきている。 か、と高いヒールの音がした。 「誰もいないわ」 「だから言っただろ」 男の声の後に、教室の扉が閉まる音がした。 思わず悠理は身じろぎした。二つの声の主を知っていたからだ。 「やっと二人切りになれたわね」 「ああ」 生々しい衣擦れの音が、やけに耳についた。 時折聞えてくる息遣い。やがて、それははっきりと声に変わる。 「……ったく」 背後で空気のように細い声が聞え、悠理の襟足に何かが触れた。しばらくして、それ が清四郎の髪だということに気が付く。後ろで彼は項垂れているらしかった。 悠理は、俯いた。 どのくらいの時間が流れたのだろうか。やがて、男女は教室を出て行った。 再び扉が閉まる音がすると、腰に回っていた清四郎の腕から力が抜けた。自由にな った悠理が身を離すと、彼は疲れたように机に凭れかかった。 悠理も床に座ったままで呟いた。 「あれ……国語と体育の」 「不倫してる……」 清四郎は抑揚のない声で言った。 「もう、ずっと前からだ」 「なんで知ってんだよ」 聞き返すと、清四郎はどこか皮肉っぽい笑みを浮かべた。 「片方が二年のときに担任だったから。色々、接することも多くて、なんとなく分かった」 「……」 悠理が思い浮かべた姿は、長い髪の、美しい女性教諭だった。 「声が聞えてきたとき、教室から出れば良かったんだけど、顔、合わせたくなくてさ」 「あたしのこと、巻き添えにしたな」 「ごめん」 そう言って立ち上がる清四郎を、悠理はぼんやり見上げた。 ――今の「ごめん」は、嘘。そんなこと思ってないのに。あたしのことなんか、ちっとも 頭にないくせに……。 「清四郎」 立てかけたままになっていた箒を、ロッカーにしまおうとしている清四郎を、悠理は呼 び止めた。 「なに」 「おまえ、あの教師と、なにかあったのかよ?」 「……どうして?」 振り返った彼は、平素と変わらない表情をしていた。 「だってさ、なんか……」 「僕と、あの人ができてたって思う?」 「……わかんない」 ずばり聞かれて、悠理は怯んだ。そんなこと分かるわけがない。恋愛の「れ」の字も知 らない、見たこともないのだから。 動揺していると、清四郎がこちらへ歩いてくる。 「な、なんだよ……」 「悠理、人間ってのは単純な生き物だ」 いきなり生物の講義でも始まったのかと、悠理は警戒したが、そうではないらしい。 清四郎の長い足が一歩踏み出したかと思うと、その端整な顔がすぐ間近まで迫って いた。 「誰かを好きになるなんて、あっと言う間だぞ」 悠理は身を竦ませた。手を引き寄せられて、体が傾く。 軽く唇が触れ合った。 すぐに顔を離すと、清四郎の澄んだ目が、悠理のそれを覗き込む。 ……目ぇ、閉じて。 さっき口付けされた唇が、そう囁くと、悠理は素直に目を閉じた。 足が震えて泣きたい気持ちなのに、それより強く願う何かが、自分の中にあった。 また唇が触れた。今度はすぐに終わらなかった。 閉じた瞼の裏で、思う。 ――ろくでなし。 軽く下唇を挟んだあと、清四郎の唇は離れていった。それと同時に掴んでいた悠理 の手も開放される。肩を抱こうともしない。 ……。 悠理は目が覚めた。 あまりにリアルな夢の感触に、上体を起こし枕元のランプを点ける。 自分は、今なんの夢を見ていた?なぜ、あんな何年も前の出来事を。 あの後、自分と彼がどうやって理科室を出たのかは、思い出したくない。耳を塞ぎたく なるような罵詈雑言の嵐を、清四郎に浴びせたような気がする。 「おまえが悪い」 隣で眠っている男に向って、悠理は呟いた。 結局、あの教師と清四郎の間に何かあったのかどうかは、分からなかった。気になら ないと言えば嘘になるが、今となっては過去の一ページに過ぎない。 枕に頬杖をつき、乾きかけの冷たい黒髪に手を伸ばして梳くと、切ない痛みが胸に 満ちてくる。夢の中から、ずっと続いている痛みだった。 焦がれ続けた彼を、手に入れたはずの今でも、それは無くならない。 「……責任取ってもらうからな」 おまえの所為なんだよ。冗談だったのかもしれないけど、本当に人を好きになるのな んて、あっと言う間なんだから。 悠理は、清四郎の頬に口付けると、再び瞼を閉じた。 BACK 私にしては、ラブいな~。最後が。 タイトルは、あんまり関連性がないです。「バードランドの子守唄」というジャズの曲が 大好きで。歌詞が結構、素敵なんですよね。それを思い浮かべながら書いたので、その まま拝借しました。 |