目撃者 2 さて、数週間後の理科の授業中。可憐は、なんとも言えない二人の奇妙な間柄を目 の当たりにする羽目になった。 出席番号の近い、可憐、清四郎、悠理は同じ実験班。その日の実験は顕微鏡を使 って、微生物を観察するものだった。 道具を用意したりする段取りが苦手な可憐と悠理は、そういった準備を清四郎に任せ きりにしているのが常で、この日もそうだった。 てきぱきと一人で、顕微鏡やらシャーレやら揃えている彼を目の前にして、サボって いる罪悪感が無いと言えば、嘘になる。 「剣菱さん、あたしたちも何か手伝った方がいいかしら」 「やっぱ、そうだよなァ……」 こそこそ言葉を交わすものの、何をしたらいいのか分からないので突っ立っていると、 清四郎からの指示が下された。 「スライドガラスにヒビが入ってるから、代わりのものを準備室に行って、取ってきてもら えます?」 「へーい」 可憐と悠理は言われた通りに、清四郎を残して準備室へと向かった。 準備室へ来たものの、二人は何がどこにあるのやら、さっぱり分からなかった。 「なんて言ってたっけ」 「もう忘れたの?スライドガラスよ」 「ああ、フライドポテトね」 「違うわ……」 なんて会話を交わしつつ、あっちこっちの棚を探したのだが、それらしき物はちっとも 見つかりゃしない。 可憐はふうっと息を吐いた。 「あんまりいじるとまずいかも。あたし、先生に聞いてくるわね」 「うん、そーして」 悠理はもうやる気を失ったようで、壁に寄りかかったまま、準備室を出る可憐に手を 振った。 「先生、スライドガラスって、どこにあるんですか?」 「ああ、スライドガラスはね……」 理科教師の説明を受けながら、ふと可憐は自分たちの机の方を見やった。 ――うん?何やってんのかしら、菊正宗君。 清四郎は席につき、机上で何かの作業をしていた。目を凝らしてみると、どうやら鋏 で紙を切っているようだ。 「はて?」 理科の時間に、美術の工作でもやってるのかしらん。 可憐は不思議に思ったが、教師の説明が終わったので、再び準備室へ引き返した。 「持ってきてやったぞ!」 「どーも」 悠理からスライドガラスを受け取ると、清四郎は淀みない手付きで、実験のセッティン グを始め、あっという間に終えた。 「これで、顕微鏡を覗けば、ゾウリムシか何かが見えるはず」 「ふーん。ゾウリムシって食えるの?」 無茶なことを言う悠理を、清四郎は横目で睨んだ。 「食えるわけないだろう」 「あっそ。つまんないのォ」 「食えるか、食えないかで物事を判断するのはやめろ」 苦々しげに嗜めながら、清四郎は顕微鏡を悠理の方へ向けた。 「今日は、君に一番手を譲ってあげましょう」 「……なんで、また」 悠理は訝しげな顔をした。 「いっつもお前が先にやるくせにさ」 「いーじゃないですか、細かいことは。たまには、剣菱サンにも一番の気分を味わわせ てあげたいなあ、と思っただけです」 「なにそれ。嫌味だな〜、お前」 キリッとした眉をひそめながらも、悠理は顕微鏡の前に座った。やはり一番乗りに興 味があったらしい。 顕微鏡に目を当てる悠理の背後で、可憐は口を尖らせた。 「あたしも一番が良かったぁ」 すると、清四郎は小さく口端を上げた。 「今日は、悠理じゃないとダメなんだよな」 「どういうこと?」 首を傾げる可憐には答えず、清四郎はじっと顕微鏡を覗く悠理の姿を見つめている。 悠理の背後から横へ屈むと、耳元に口を寄せた。 「見えました?ゾウリムシ……」 悠理は首を振る。 「見えない」 「じゃあ、ガラスをずらしてみて」 「うーん……こうか?ありっ、真っ暗になっちゃった」 「動かしすぎだよ」 ガラスを動かす悠理の手に、清四郎の手が重なった。 (キャー!) 可憐は顔を赤くした。ちょっと、あんたたち接近し過ぎじゃないのぉ!? 改めて見てみれば、目の前の二人の体勢は危なすぎた。これじゃあ、まるで彼氏が 彼女を後ろから抱きしめているようだ。 「これで、どうかな。見えた?」 「あっ、見えた」 「動いてる?」 「う、動いてる」 段々悠理の肩が強張っていくのが、傍で見ている可憐にも分かった。 「ねー、重いんだけど」 「僕が?」 「そーだよ、お前だよ。背中によっかかるなよ!」 「それはすみませんでした」 清四郎が背中から離れると、悠理はやれやれと顕微鏡から顔を離した。 「あ!」 可憐は悠理の顔を見た瞬間、すっとんきょうな声を上げた。 彼女の切れ長の瞳の周りに、いつの間にか丸く黒い縁取りがされてしまっていたか らだ。 清四郎が素早く顕微鏡の覗き穴から何か黒い紙切れを剥がしたのが視界に入って、 可憐は気がついた。 (げ、コイツの仕業ね。しっかし、なんてガキっぽいことやるのかしら) 「剣菱さん、目の周りが」 「おっと」 清四郎は下敷きを可憐の口に宛がった。喋るな、のサインと分かって、咄嗟に可憐は 口を噤む。 「え、なに?あたしの目がどうかしたってえ?」 「悠理、こっち向け」 「なんだよ」 振り向く悠理に向かって、清四郎はいつの間にか取り出した携帯を向けていた。 「はい、チーズ☆」 シャッター音がした。 「な、な、な……に、やってんだよ、清四郎!!」 悠理の絶叫が理科室中に響き渡った。周りの生徒の目が一斉に悠理と清四郎に注 がれる。 「なんでもない。実験を続けてくれ」 清四郎が制するように手を上げると、皆、微妙な表情をしながらも実験に戻った。完 全に丸め込まれている。 悠理は清四郎のシャツの胸倉を掴んだ。 「どーして、あたしの写真なんか撮るんだ」 「悠理の写真を一枚、と思いまして」 「なんの断りもなしに、撮るなっつうんだよ!!」 「いや、でも記念すべき瞬間だったから……」 と、清四郎は薄い笑みを浮かべたが、その笑顔の冷たく邪悪なこと。可憐はぞおっと した。 (な、なんなのよ〜。こわーい、ちょっと怖いわよ、菊正宗清四郎……) そこで、ハッ!と可憐は思い当たった。今までの「弁当ざる蕎麦事件」や「黒板消し落 下事件」は全てコイツの仕業じゃあ……。 有り得る。直感でそう思う。さっきの表情、清四郎は悠理を苛めて心底喜んでいる。し かし、そんな子供染みた嫌がらせに、一体どんな意味があるというのだろう。 「悠理、悠理。これ見て」 意地悪そうな表情で、清四郎は悠理に携帯を見せている。途端、悠理の顔が沸騰し たかのように真っ赤に染まった。 「なんだよ、これ!!」 「お前の顔」 「そんなの、分かってる!この目のことだ、あたしが言ってるのは!!」 「これは仕返しだ」 一転して、清四郎は笑みを隠した。逃れるように背を反らす悠理の腕を掴んで、自分 の方へ引き寄せる。 「昔、お前にやられた」 「な、なんでそんなこと覚えてるんだよ」 「案外執念深いんですよ、僕は」 「いい加減、忘れろってばあ〜……」 「それはお前の言う台詞じゃないな」 「で、でもぉ」 悠理の目が小動物のように慄いている。 「でもぉ〜、じゃないんだよ」 清四郎はぐい、と悠理に顔を近づけて、目線を合わせた。 「あとは、ドブ川に落とされたんでしたっけねえ」 「ま、まさか」 悠理はガクガクと肩を震わせた。 「それも、あたしにやり返すつもりじゃあ」 「そのつもりだと言ったら、どうする?」 一見するととっても優しく思える笑顔を清四郎が浮かべたとき、頭上から影が差した。 「あんた、剣菱さんを苛めるのは、その辺にしときなさいよ」 可憐は肩に手を置いて二人を引き離した。これ幸いとばかりに、悠理はガタガタガタ と椅子ごと後ろへ退いた。 「ちょっと、やりすぎじゃない」 諌めると、清四郎は黙って肩を竦めた。全く反省の色は見えない。 「剣菱さん、顔洗ってきたほうがいいわよ」 「うん……」 頷きながら、悠理はビクビクと清四郎の顔色を伺っている。彼は傍にあったノートを手 に取って、バッと悠理の頭に向って振りかざした。 「わあっ!」 頭を両手で隠して怖がる悠理に、清四郎は眉を下げ、手を下ろした。 「叩きゃしませんよ。さっさと行って来たらいいじゃないですか」 「ぜ、絶対に着いてくるなよ!黄桜、コイツのこと見張ってろよな!!」 「はいはい」 承諾してやると、悠理はこちらを向いたまま中腰で後ずさるという奇妙な体勢で、理科 室を出て行った。 可憐は腰に手を当てて、椅子に座る清四郎を見下ろした。 「あたし、菊正宗君のこと、誤解してたわ」 「誤解されるのは慣れてます」 そう言って目を伏せる彼の表情はどことなく儚げで、人心を惑わすような風情があった が、もう可憐は騙されなかった。 「とんだ生徒会長ね。女の子の靴の中にチョコ入れたり、頭に黒板消し落としたりしてさ。 まるで、小学生じゃないの」 「幼稚園ですよ。幼稚園児がやったことを再現してるんだから」 「そういう問題じゃないでしょ」 「ですね」 「……」 可憐は頭が痛くなってきた。目の前の男が見知らぬ星からやってきた宇宙人に思える。 「今度また剣菱さんを苛めてみなさい。すぐに先生に通報するからね!」 「黄桜さんて、意外に正義漢なんですねえ」 「だから、あんたが今言う言葉はそーじゃないでしょ!」 「では、どんな」 「例えば……『僕が悪かった!もう二度としないから、先生にだけは言わないでくれ!』 ……とかよ」 あたし何言ってるのかしら、と可憐が頬をひくつかせると、清四郎は手を叩いた。 「上手い!脚本家になれるよ、君」 明らかに馬鹿にしている。 「あら、ありがとう……って、違うわよ!なんで、そうなるのよ!!」 「さあ?」 首を傾げる清四郎の前で、可憐はがっくりと肩を落とした。 もーいい……コイツとまともに対話するのは諦めた。 「と、とにかく、下らないイジメはやめなさいってことよ」 「下らない……?」 不意に清四郎の瞳を剣呑な色が過ぎった。可憐に何か言い返そうとしたのか、組ん でいた腕を外したが、教室のドアが開く音が聞えると、何も言わず、少し拗ねたような顔 をして、また腕を組みなおした。 悠理が戻ってきた。可憐は自分の隣の席に手招きする。 「菊正宗の隣には座らないほうがいいわよッ」 「うん、ありがとう」 ぴょんぴょんと嬉しそうに悠理は可憐の傍へ寄ってきた。 「酷い言われようだな」 自業自得のくせに清四郎はムッとしている。 「もう、剣菱にはノート見せてやらない」 「ええッ!?」 悠理の声が引っ繰り返った。 「なんでさ〜!」 「隣に座るのも嫌なら、僕のノートを触るのも嫌でしょ」 「そ、そんなことないよお!」 「いや、そうだろ」 「違うってば!」 ツーンとそっぽを向く清四郎に向って、悠理は今にも取り縋らんばかりに身を乗り出し ている。可憐は彼女の腕を引っ張った。 「ちょっと、剣菱さん。コイツ、今まであんたに嫌がらせしてた張本人なのよ。そんなに 下手に出て、どうすんの」 「でも、清四郎のノートが無いと困る……」 「ノートとプライド、どっちを取るつもり?」 「えー、選べないよ」 悠理は口を尖らせた。 「究極の選択じゃん?それ」 「どこがよ……」 呆れた可憐が溜息を吐いたとき、教師の声が飛んだ。 「よーしそれじゃあ、顕微鏡でどんな生き物が見えたか黒板に描いてもらおうか。… …剣菱、前に出て」 「あたし!?」 悠理は自分の顔を指さした。そろそろと清四郎を見る。 「ね……清四郎ちゃん」 「自分で考えなよ。さっき見ただろ」 彼は冷たい反応を返すばかり。 「忘れちゃったもん!お前が変なことするから!!」 「死ぬ気で考えれば、思い出すんじゃないですか」 「く〜〜〜!分かったわい!自力でやりゃあいいんだろ!?」 ガタン、と席を立って、のっしのっしと悠理は前に出て行った。 やる気だけは全身から漲っているが、いかんせん中身は空に等しい。案の定、黒板 の前に立っただけで、固まってしまっている。 (あ〜あ) 可憐は責めるように清四郎に視線を投げた。 「良かったわねえ、菊正宗君」 彼女が困ってて嬉しいんでしょ?……と言いかけたところで、「あれ?」と、可憐は目 を見開いた。 また先程のように冷たく意地悪そうな表情を浮かべているのかと思いきや、清四郎は 全く違う顔をしていた。 彼は、教師に軽く説教されて項垂れている悠理をじいっと見つめている。そこには、先 ほどの冷淡な笑みはなかった。奇妙に真剣な表情で、彼女の背中をただ見ている。 何か、願っているように。何か、乞うように。そして、何処か悲しげに。 (な、なに?なんなのぉ、一体!) 今、清四郎が浮かべている瞳の色を、可憐は何度も見たことがあった。 自分に言い寄ってくる男たちが、一様に浮かべる色。 そう……あれは、恋をしている目だわ! 可憐は訳が分からなくなった。落ち着いて、あたし。ちょっと整理しよう。 まず……清四郎は悠理を意図的に苛めている。しかもかなり計画的に。 その苛めにまんまと嵌る悠理を見て、清四郎は喜んでいる。本気で。 結果、落ち込む悠理。そこで、益々喜ぶのかと思いきや、清四郎は何故か悲しい目 をして、彼女を見てる。 そこから導き出される答えとは……。 (意味わかんな〜い!) 可憐は頭を抱えた。 悲しげな顔をするくらいなら、最初っから苛めなければいい。単純にそう思うのだが。 (なんにしろ、こいつ、ちょっと変だわ。私の手には負えないかも……) 可憐は少しの勿体無さを感じながら、心の中で、玉の輿清四郎に一方的に別れを告 げたのだった。 BACK な、なんか妙な展開になってきましたヨ!どうすんだよ、ワシ……。 |