家族ゲーム 彼は、もう長いこと寝不足だった。 仕事が忙しいせいもあったが、それ以外の原因の方が大きかった。それは、 家庭内騒音。 「とーちゃん、俺の靴下知らねえ!?」 「知りません。……なぜ僕がお前の靴下の行方を知ってなきゃならんのだ」ぶつぶつ 「とーちゃん!あたしの朝飯まだ〜」 「年頃の娘が朝飯なんて……ちょっと待ってなさい!」 彼は痛む頭を抑えて、台所に立つ。子供達の母である彼の妻は未だ夢の中だ。 「なぜ、子供達は皆、あいつに似てしまったのか……」 昨夜の味噌汁を温めながら、彼は人知れずぼやいた。 だが、いくら嘆いても、今更その事実は変えようがない。 双子である子供達が生まれた直後から、彼は育児に心を砕いてきたし、躾だって厳し くしてきたつもりだった。……その結果が、この状態である。 友人のとこの子供は、とっても品行方正で、どこに出しても恥ずかしくないような完璧 な子なのに、なぜ我が家はこうなのだ。 「と〜ちゃん、俺の着るシャツがないよ」 彼の息子である。容貌は父親にそっくりなくせに、中身は大違いだ。コイツを見ている と、あの頃の自分はよくできた子だった、と彼は過去の自分を褒めてやりたくなる。 「乾燥機の中は見たのか」 「見た。でも、ねえ」 「ねえ、じゃないだろう。無ければ無いで、自分で何とかしなさい。お父さんはそこまで 面倒を見るつもりはない」 「わあったよ」 ぶすっ、として息子は二階へ上がっていく。すると、今度は娘がやってくる。 「あたしのメシ、まだぁ」 「メシと言うのはやめなさい。ご飯だろう」 「あっそう、で、メシは」 「……」 彼は無言でコンロの上の鍋を指差した。 「そこの味噌汁でも飲んでなさい!」 「ふーん」 娘は鍋いっぱいの味噌汁を覗き込んで、 「これじゃ、足りないってば」 と言った。 子供達に振り回されながらも、自らの出勤の準備を整えた彼は、二階の寝室へ向っ た。窓側のベッドの布団が盛り上がっている。これは……もちろん妻である。 彼は羽毛布団を思いっきり引っぺがした。 「起きろッ!!」 「……ん……」 「いつまで寝てるつもりなんだ!?」 「あー、おはよぉ〜」 「僕はもう出かけるからな。昼までには起きて、洗濯機の中の洗濯物を干しておいてく ださいよ!!」 「へ〜い」 返事をすると、妻はまたもや、むにゃむにゃと夢の中へ引き返して行った。 出社した彼を出迎えるのは、実に悪趣味なエントランスだった。招き猫がそこらじゅう で手招きをしている。何故か噴水が極彩色の派手な水しぶきをあげている。 入社した頃は、この景色を見るたび頭痛を催したものだったが、十数年を経た今では 大分慣れた。 「おはようございます、専務」 「おはよう」 今朝の狂騒など感じさせない爽やかな笑みを浮かべながら、彼は執務室へ向う。 「本当に素敵ねえ、専務って」 「お嬢様がうらやましい……」 「……俺も、専務に愛されたい」え? 社員たちから憧れの眼差しを受けながら颯爽とエレベーターに乗り込んだ彼が取り 出したのは、携帯電話である。 「……僕だ。お前、まだ寝てるのか!洗濯物を干せと言っただろう!やっと来た晴天な んだから、絶対に忘れるなよ!!」 ピッ。電話を切った彼は深い溜息をついた。今一番気がかりなのは、湿った洗濯物の 行方であった。情けない。 執務室へ辿りついた彼は、デスクに置いてある書類に目を通す。 ようやく心の平穏が訪れる。彼にとって、仕事をしているときが、一番心安らぐ時なの だった。 終業時刻になったので、彼は帰宅の途につく。 この時間が、一番憂鬱だ。これから帰る家の状態を思うと、蒸発したくなる。 どこか遠いところへ行きたくなる。 「ただいま」 ドアを開けたが、誰も迎えには来ない。電気も点いていないので、手探りでスイッチを 押す。侘しい。 リビングのドアを開けると、そこは……カオスの世界であった。 ソファーには、脱ぎっぱなしの制服が放り出され、テーブルの上には、食べ終わった ままのプラスチック容器が散乱している。 彼は持っていた鞄を、力いっぱい壁に投げつけたい衝動に駆られたが、必死で堪え た。この家において、自分こそは最後の砦だという自覚があったからだ。 階段を上り、子供たちの部屋のドアをノックする。 「いるのか?」 『は〜い、いるけど』 「下を片付けなさい」 『うん、後でね』 「今すぐだ」 『うん、後でね』 彼は下へ降りた。未だ寝ているであろう妻に声を掛ける気力はもうなかった。 荒れ果てたリビングルームのソファーに彼は腰を下ろした。疲れがどっと押し寄せてく る。 こんなはずじゃなかった。結婚してから今まで、心の中で何度と無く呟いた言葉。 優しく美しい妻と、素直で可愛い子供達……。 そんな家庭が、この世に果たして存在するものだろうか。いや、しない。(反語) こんな確信を抱くほど、今の彼は家庭生活というものに、絶望していた。 (この結婚は間違いだった……) 彼は思わず顔を手で覆った。 タイムマシンがあるならば、妻にプロポーズした若き日の自分に言ってやりたい。 ――落ち着け、冷静になれ!! そう、冷静にさえなれば、今の惨状は予想できたはずだった。彼女のいい加減さは嫌 と言うほど知っていたはずだったのに、何をトチ狂ったのか、あの頃の自分はそれすら 美点に思えていたのだ。 彼はやおら立ち上がった。鞄の中から財布を取り出し、部屋を出る。 スーツのままで玄関に向かい、靴を履き、ドアノブに手を掛けた。 もう耐えられない、こんな家。 「彼」と、その妻というのが誰かはお分かりですよね? 清四郎と悠理の結婚って、理想を抜きにしたリアルな話だと、こんな風になるんじゃない かな〜という、しょうもない妄想です。(生活ぶりが、えらく庶民的だが…) この後の展開は、家出した彼を妻と子供達が追いかけ、色々あって仲直りというものに しようと思っていたのですが、途中であまりのバカバカしさにヤル気がなくなりました。 BACK |