駆け込み乗車の日



 もうすぐ、僕は生涯の伴侶を得る。
 実は、それほど愛してもいない人物なのだが、まあ仕方あるまい。
 昔の人間は、お見合いでどんどん神経衰弱のように結婚させられていた。それと同じ
だ。
「よう、清四郎、支度できたか!」
 そう言って、入ってきたのが……なんと、僕の結婚相手である。
 この台詞からいって、男の友人を想像される人がほとんどであろうが、正真正銘、僕
の花嫁なのだ。
 鏡に向かったまま、僕は苦い声を出した。
「今日くらいは、女の子らしい言葉遣いをしてくださいよ」
「できっか、そんな気持ち悪いこと!」 
「はあっ」
 ため息を一つついて、僕は後ろを振り返った。
「それじゃあ、式の間だけでも……」
 と、僕は絶句した。
 花嫁が……ウェディングドレスを着た悠理が、あんまり綺麗だったので。


 さっきから、僕の心臓は箍が外れたように、ばくばく言っている。いきなり倒れて、死ぬ
んじゃないかと不安になるほどだ。 
 ちら、と隣の悠理を見て、僕はすぐに目を逸らした。
 なんということだ。……悠理のことを、三秒と見ていることができない。
「なんなんだよ、おまえ?さっきから、ちらっちら見てさー。そんなにあたしの化粧した顔
が変なのかよ!?」
「うッ」
 言い放たれた悠理の言葉が、矢となって僕の胸に突き刺さる。傷ついた、すごーく。
 悠理のあまりの眩しさに、僕は彼女を見ることができないのであるのに。
「えー、新郎の清四郎君は、大変優秀な成績で大学を卒業し……」
 スピーチも、もはやまったく頭に入らない。
 ずっと俯いていたら、悠理に肘でつつかれた。
「もうちょっと、楽しそうな顔しろよな。みんな変な目で見てるじゃないか!」
「す、すまない」
 まさか、悠理に注意される日が来るとは。なんて、感慨深げになっている場合ではな
い。仕方ないので顔を上げると、ずらっと並んだ列席者の数に、くらっと眩暈がした。
 僕は呟いた。
「すごい人の数だな……」
「今更、なに言ってんの?」
 確かに悠理の言う通りである。大勢人間が来ることは知っていたはずだ。いつもならこ
んなこと気にもならないのに、何故か今日は妙にプレッシャーを感じる。なぜだ。
 いよいよ剣菱の中枢に本格的に関わるからか。いや、違う。
 横にいる悠理の存在が、僕の心を圧迫しているのだ。

 ガチャーン!

「……失礼しました」
「なにやってんのさ、清四郎」
 くぅ〜!手が震えて、フォークを落としてしまった!!何たる不覚……。
 一瞬、会場が静まり返ったのが、胸に堪える。


 スピーチが途切れた頃、魅録と美童がこちらへやって来た。
「よーよー、清四郎さんよ!随分、緊張してるみたいじゃねーか」
「よしてくださいよ、魅録。緊張なんて……」
 しまくっている。
「本当だよねえ。指輪もフォークも落とすしさ」 
「手が滑っただけです」
 そう!なんと僕は指輪交換の際にも指輪を落としてしまったのである。
「そんな調子で、お前、悠理との初夜を乗り切れんのかあ?」

 しょ、や!!

 魅録の言葉に、僕は絶句した。初夜というものの存在をすっかり失念していたからだ。
「……まあ、なんとかなるでしょう」
「どうせ、やろうと思ったら悠理がガーガー寝てたって、オチだと思うな」
「ああ、そうなりそうだよなー」
 美童と魅録の言葉も、もう耳には入らない。
 どうすれば……。いや、僕はどうするべきなのか。


 披露宴も二次会も終えて、とうとう僕たちはホテルの部屋で二人切りになってしまった。
 僕は、ドアを後ろ手に閉めて俯いた。悠理の背中の開いたイブニングドレスが、なん
だか怖い。
 悠理は、やはり緊張しているのか、妙に明るく振舞っている。
「うわー、すっごい夜景だな〜」
「そ、そうですね」
 不本意ながら、僕はどもってしまった。
 本当なら、

「うわー、すっごい夜景だな〜」
「ふっ。でも、今夜の悠理の方が綺麗ですよ」

 なんて、口から出まかせでも、余裕で彼女をエスコートする予定だったのに!
 どうして、こんなに僕は緊張しているのだ!?どーして、手に汗握ったりしているんだ。
「清四郎……」
 いつもと様子の違う僕を変に思ったのか、悠理が何か言いたげな瞳で、こちらを見詰
めてくる。
 当然、僕は目を逸らしてしまった。何度も言うが、今日の僕は彼女の顔をまともに見る
ことができないのである。
「なんですか」
「……そんなに、あたしと結婚するの嫌なんだ?」
 思いもかけないその言葉に、僕は思わず悠理の顔を見た。そして、固まった。
 悠理の目から、涙が一粒、二粒と頬を伝っていたからだ。
「な、なんで泣くんだ」なんという間抜けな返しだ。
「だ、だ、だってさぁ」
 悠理は次第に嗚咽を漏らし始めた。えぐえぐと子供みたいに泣かれたら、僕は一体ど
うすればいいのか。
「だってさぁ〜、さっきから清四郎、ずっと怖い顔してんだもん〜!」
「……怖い顔!?」
 僕は自分の頬を思わず触った。そんなに怖い顔をしている自覚はなかった。ただ、物
凄い緊張で顔が強張っていたのは、確かかもしれない。 
「それは悪かった。別に、僕はお前と結婚するのが嫌なわけじゃないんだ」
「……本当に?」
「本当です」
 と言いつつ、また僕は悠理の視線から、逃げた。 
 だが、僕の体は、すんすん泣いている悠理へ向って、ふらふら一人でに引き寄せら
れていく。窓の外を向いている彼女の背後に、僕は立った。
「悠理」
「……清四郎」
 名前を呼ぶと、キラキラと涙に濡れた悠理の瞳が、僕を見上げた。
 !!
 僕の血が急激に沸騰する。くらっと眩暈まで起きた。
 「瞳はダイヤモンド」という曲を思い出した。それほど……悠理の瞳は美しかった。上
手く表現できないのが、もどかしい。
「あたし、清四郎がすっげー、怒ってると思って……どうしようって……」
 うわッ!悠理が不意打ちで僕の胸に凭れかかってきた。
「おこ、って……なん、かいませんよ」
 普段の冷静さを取り戻そうとすればするほど、僕の頭は螺子が何処かへ飛んでいっ
たようになる。
 今日の僕は、何かがおかしい。歯車が狂っている。だって、悠理の肩に触れることす
ら、できないでいる。
 いつものように、気軽に肩の一つや二つ、叩いてやったらどうなんだ!……無理。
 僕は背中を抱くこともできず、宙に浮いた手を持て余したままで、言った。
「ただ、僕も緊張するということです。人間ですから」
「だけど、あたしいつも、お前のこと怒らせてばっかりだから……」
 僕はハッとした。
 悠理の肩が、震えている……。
「お前の考えてること、全然分からないし……どうして、あたしなんかと」
「あたしなんか、じゃない」
 僕は恐る恐る、悠理の両肩を掴んだ。そして、驚く。こいつの肩がこれほど細いとは
知らなかった。
「悠理だからです」
「ウソつけ!どうせ、あたしなら、なんでも言いなりにできるからと思ったんだろうが!」
「……」
 言葉に詰まったのは、婚約したときに、そう思ったのも事実だったからだ。
 だけど……。
「違う、僕はお前が」
「……え?」
 彼女の肩を掴む指に、僕は力を込めた。自分は何を言おうとしているのか。 
「愛しているんだ、悠理」
 涙を一杯に溜めた悠理の瞳が大きく開かれた。
 「愛している」という言葉を口にしたとき、目の前に突然道が開かれたような気がした。
 答を見つけた――そんな感じだった。 
 今、分かった。僕はずっと前から悠理を愛していた。
 こいつが、頭の悪いガキで、しょっちゅう膝を擦りむいていたのを、白けた目で見てい
た頃から。  
 悠理は呆然として、一言も発しない。桜色の唇が無防備に開いている。
 僕は顔を傾け、口付けた。頭が甘く痺れる。
 唇を離し、視線が絡まったかと思うと、悠理は僕の胸へ身を投げ出してきた。
 白い背中を抱き締めた僕の指の震えは、いつの間にか止まっていた。



 ぎこちないなりに、初めての愛を交わし、僕の悠理恐怖症(?)も収まったかのように
思えた翌朝。
 カーテン越しに差し込む、ほのかな朝の光で、僕は目を覚ました。腕の中では……
今なら堂々と言える!僕の愛しい妻が眠っている。
 柔らかな髪に頬を寄せると、彼女は小さく身動ぎした。
「悠理……いいかげん起きないと、学校に遅刻しますよ」
 昨日とは打って変わって、こんな冗談まで言えるくらいに回復した僕。いや、昨日が
異常だったのだ。    
 と、思っていたのだが、
「おはよ……」  
 むにゃむにゃと寝惚け眼で起きた悠理を見た瞬間、僕の心臓は鷲掴みにされたよう
に、激しく高鳴り始めた。
 い、嫌な感じだ……。
「せーしろう♪」
 顔を曇らせる僕の胸に、裸の悠理が無邪気に乗り上げてきた。

「う、うわぁーーーーッ!!」

 なんということだろう。僕は思わず顔を両手で覆ってしまった。
 恥ずかしい。恥ずかしすぎる、この状況は。目のやり場に困る。
 指の隙間から、きょとんとしている悠理が見えた。なんという可愛さ。ああ、僕の女神!
「どうしたの、清四郎」
「い、いや、なんでもないんだ」
 そう言う傍から、手が震え始めている。昨夜、悠理を乱れさせたときは、自由に操るこ
とのできた指が、今は再び、肩を抱くことすらできなくなってしまった。 
「なんか、すごい心臓がドキドキ言ってるんだけど」
 彼女の指摘に、僕は「あははは」と空々しく笑うことしかできなかった。
 またしても、上手く言い返す言葉が出てこなくなったのだ。
 悠理は、僕の鎖骨をなぞりながら、こちらを見上げた。
「清四郎……あたしのこと、好き?」
「す……好きだよ」
「あたしも」
 ニコニコと笑う悠理。僕も、ぎこちなくだが、笑い返した。

 ――あんまり好き過ぎて、悠理が怖い……。




 
 
 
出たー、訳の分からない話!
 我ながら、うちの清四郎って本当に変なヤツだな…。


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