初めての夜



<これまでのあらすじ>
 大学卒業後、ぶらぶらしていた悠理の前に、つきつけられたお見合い写真。嫌がる
悠理だったが、両親の協力なプッシュに逆らえるはずもなく、「ま、しかたないか〜」とよ
く知らぬエリート三十男と涙ながらに結婚しようとした矢先、救いの手を差し伸べたの
は、清四郎だった。「そんなにイヤなら、旧知の僕と結婚する方がまだマシでしょう」
「そう言われれば、そうかな?」そんなこんなで、二人は結婚することになった。百合子
の希望により式は教会で行われたが、初夜は剣菱と縁のある老舗の旅館で迎えること
になったのだった(管理人の趣味)――。

+ + +

 どうして、こういうことになったのかは、実のところ悠理にもよく分かっていなかった。多
分、成り行きということだろう。いくら重要な局面といっても、人生は往々にして、そうい
うことになってしまうものだ。 
(どうすればいいんだろ……)
 綺麗に並べられた二組の布団を前に、悠理は呆然と立ち尽くしていた。
 外では鹿威しが「かこ〜ん」と風流な音を奏でている。
 とりあえず、悠理はこの部屋から立ち去り、隣の部屋に移動することにした。
 襖を開けようと引手に手を掛けると、不意に襖が自動的に開いた。
「わっ、清四郎!!」
 目の前に男の姿を認めた悠理は、反射的に襖を閉めようとしたが、彼はそれを許さな
かった。
「なんで閉めるんですか」
「やだ、やだ〜!!」
 抗う悠理をものともせず、清四郎はスパーンと襖を開け放った。そこには、二組の布
団。
「……なるほど」
 一瞬、彼も動揺したようだったが、すぐに何もなかったように、ずかずかと部屋へ入っ
ていく。渋い色合いの掛け布団を踏みつけて、窓辺へ行くと、悠理の方を向いて手招
きした。
「悠理、温泉がありますよ」
「うっそ!」
 悠理はぴゃーっと、清四郎の傍へ走りよった。
 窓を開けると、そこには部屋に備え付けの露天風呂があった。
「すごーい!部屋に温泉があるんだぁ!」
「一緒に入ります?」
 その清四郎の一言に、悠理は飛び退り、部屋の隅っこに縫い止められたように固ま
ってしまった。
「ば、ば、バカなこと言ってんな!!」
「……冗談ですよ」
 清四郎は困ったような顔をした。
「そんなに警戒しなくてもいいのに」
「だ、だって……」
 悠理がもじもじしていると、清四郎は部屋のクローゼットを開けて、中から浴衣を取り
出した。 
「あの〜、着替えたいので、部屋を出てもらってもいいですか」
「へ?」
 と言ったあとで、悠理は意味を察して、逃げるように部屋を飛び出した。


 一時間後、湯を使った二人は浴衣姿で向き合っていた。布団の上で。
 律儀に正座をしている清四郎とは対照的に、悠理は偉そうに胡坐をかいていた。
「あたし、こういうときどうすればいいのかわからないからさー」
「僕だって、わかりません」
「嘘ばっかり。実は経験豊富なんだろ、おまえ。美童が言ってたぞ」
 心持ち責めるように悠理が言うと、清四郎はそっと面を伏せた。彼の睫毛が意外に長
いことに、悠理は初めて気が付いた。
「……豊富ではなく、人並です」
(人並って、何人だよ!?)
 悠理はそう問い質したくなったが、飲み込んだ。……つもりだった。
「何人?」
 思わず呟くと、悠理は不意にみじめな気持ちに襲われた。こんなこと聞いてどうする
つもりなんだ。
「は……何人、ですか?」
 真面目な清四郎の声に、悠理の喉が熱くなってきた。目が段々潤む。堪えようとする
と、ますます涙が湧き上がり、とうとう嗚咽が漏れた。
「悠理」
 途方に暮れたように清四郎が名前を呼ぶと、余計に悲しくなる。悠理は顔を覆った。
「やだ、もう〜」
「別に泣くことないだろう」
 清四郎は悠理の腕を掴み、胡坐をかいていた姿勢を正そうとした。
「とりあえず、ちゃんと座りなさい。こんな時くらい」
「う……」
 涙を拭いながら、悠理は正座をした。恐る恐る顔を上げると、目の前にはきちんと丹
前を羽織った清四郎が座っていたが、いつになく頼りなげな風情が漂っている。
「その……僕だって動揺します。そんな風に泣かれると」
「……ごめん」
 と言うそばから、涙が溢れてくる。悠理が袖で拭こうとすると、清四郎の手がそれを止
めた。
「悠理、僕の目を見てください」
「……」
 素直に、悠理は清四郎の瞳を覗き込んだ。今まで真っ黒な目だと思っていたが、よく
見ると茶色だった。
「この目が悪い男のものだと思うか?」
 しばし考えたあと、悠理は小声で言った。
「……思う」
「思うのか!」
 清四郎は悠理から目をそらした。だが、すぐに気を取り直したようで、悠理の手を包
み込むように握った。
「ま、おまえが僕のことを怖がっているのはわかってる。そういうマイナスイメージはこれ
からの生活で、段々改善されるさ」
「清四郎」
「だから……今は僕に身を任せて」
 彼に握られた手を見つめながら、悠理は呟いた。
「……優しくしてよ……」
 返事の代わりのように、清四郎は部屋の灯りを落とした。


 清四郎が、俯く悠理の唇を掬い上げるように口付けると、彼女の腕が強張るのがわ
かった。キスをするのにもまだ慣れていない、そんな少女のような悠理を抱くことに、少
し抵抗を感じたが、ここで止めたら、もっと傷つけることになる。
 口付けを深くしながら丹前を脱がし、浴衣の衿をくつろげると、清四郎の指に滑らか
な肌が触れた。悠理は、ブラジャーをつけていなかった。
 外から見ると、ほとんど無いように見えた胸だったが、触ると、意外に重みがあること
に、清四郎は驚く。指先で引っ掻くように、乳房の先端を擦ると、悠理の体がぴくりと揺
れた。
 感じるときの声が聞きたくて、唇を離すと、二人の間に銀の糸が伝った。
「胸、ありますね」
「あたりまえだろ……」
 はあはあと息をついている悠理を、清四郎は押し倒した。ぽすんと枕に頭を落とす悠
理に覆い被さり、衿元を大きく広げる。
「や、やだ!」
 露になる胸を隠そうとする手を布団に押し付けて、清四郎はそっと、その蕾を口に含
んだ。
「あ……っ」
 悠理の口から、高い声が漏れた。今まで聞いたことのないような声に、清四郎は自分
が煽られるのを感じた。
 舌先で、つついたり、転がしたりすると、悠理の手が清四郎の髪をぐしゃぐしゃと掻き
乱す。
「や、いや……清四郎、やめてよ……」
 そう言いながらも、彼女の手は行為を拒否するために動いているのではない。ただ、
未知の感覚に飲み込まれることが怖いのだろう。
 清四郎が胸から顔を上げると、悠理は顔を横に倒し、零れる吐息を噛み殺すように
手を口に当てていた。うっすらと染まった頬がひどく扇情的なことに、彼女は気が付い
ていない。
 耳元に口を寄せ、清四郎は囁いた。
「感じた?」
「わ、わかんない」
 顔をそらしたまま、悠理は恥ずかしそうに指を噛む。
「なんか、やだ……こんなの、あたしだけ変になって……」
「あたしだけ?」
 と、清四郎は、悠理の噛んでいた手を掴み、下の方へ引き寄せた。悠理の顔がなん
ともいえない表情に変わる。
「こ、これ……」
「……僕だって、十分、変になってます」
 鼓動は早いし、息は乱れるし、頭の中はいけない煩悩でいっぱいだ。
「悠理……だから、もっと変になっていいんだよ」
 彼女は、そろそろと清四郎に視線を向けた。 
「でも、あたしのこと嫌いになったりしない……?」
「嫌いになんかなりませんよ」
 耳の中に、ふーっと息を吹き込むと、悠理は「あっ」と可愛く鳴いた。
「もっと好きになる」
 華奢な首筋を舐め上げながら、下肢に手を伸ばす。悠理の中心は既に潤っていた。
「濡れてる……」
「い、いちいち言うなってば……っあ……」
 ショーツを脱がせ、清四郎は指で茂みの奥を探った。悠理が眉をひそめる。
「痛い」
「少し、我慢して」
 宥めるように言う清四郎の声も掠れて来ている。処女を抱くのも、色々気を遣うのだ。
(随分と甘くなるもんだな、僕も……)
 考えてみれば、女に対してこれほど優しくするのは初めてのことだった。悠理を怖が
らせたくない、嫌われたくない一心で心を砕いている自分が、少し滑稽に思える。
「ん…ぁ……」
 ほぐすように優しく指を動かしているうちに、悠理の表情が段々変わってきた。ただ
苦しそうだった顔に、切なげな色が混じり、時折喘ぐように口を開ける。
「清四郎っ」
 悠理の腕が、とうとう清四郎の首に回された。内心、彼は彼女が自分に縋りついてく
るのを、ずっと待っていたのだ。
「もう、我慢できない……」
 清四郎の言葉に、悠理は小さく頷いた。
 浴衣を脱ぎ捨てると、濡れたその場所に己を宛がい、腰を進めた。組み敷く悠理が、
清四郎の肩に爪を立てる。
「つっ……」
「……痛いのか?」  
「うん……でも、我慢しなきゃ……」
 唇を噛み締める悠理に、清四郎は柄にもなく胸が熱くなった。
(健気なことを言ってくれるじゃないの)
 出来る限り優しく優しくしてやりたいが、いつまでも悠長なことは言っていられない。
清四郎は細い腰を掴むと、ぐっと奥まで貫いた。
「あ」
 と、その瞬間、声を出したのは彼女ではなく、彼だった。悠理は清四郎の下で、ただ
痛みに耐えている。
「ゆ、悠理……もう少し力を抜いてくれ」
「無理〜!」
 あんまり悠理の中が狭く、締め付けてくるので、清四郎は息が上がってきた。乱れた
前髪をかき上げると、汗が額から伝い、悠理の肌に滴り落ちる。
 そのまま落ちそうになるのを堪えて、ゆっくり体を揺すると、段々とスムーズに出し入
れできるようになってきた。
「あ、ぁ……」
 悠理の顔から苦悶の色は消えようとしていた。初めて見る彼女の快楽に溺れる表情
に、清四郎は思わず見蕩れた。これほど綺麗な女だとは知らなかった。     
「んっ……」
 腰を打ちつけながら、限界が近づいてくるのを感じたとき、清四郎は悠理に肩を引き
寄せられた。
「怖い……」   
「なにが?」
「なんか……お、おかしくなっちゃうよ……」
「大丈夫だ、怖くないから」
 この先にある何かを、悠理は戸惑い恐れている。それならば、そこへ連れて行ってや
りたいと、清四郎は思った。
 腰に絡んでいた足を持ち上げ、肩にかけると、より結合が深くなる。  
「やだ……!」  
 あられもない体勢を、悠理は恥ずかしがったが、清四郎はそのまま責め続けた。
「恥ずかしいなら、目を瞑れ」
「いや……もっと恥ずかしいもん!」  
 そう言って、悠理は清四郎の顔から目を離さない。熱に浮かされたように濡れた瞳で
じっとこちらを見つめてくる。
「悠理」
 そのうち、清四郎の方が責められている気分になってきた。色を浮かべているくせに
悠理の瞳の輝きは、どうしてこんなに冴えているのか。
 苦しい息の合間に、そんなことを考えたとき、不意に悠理の肩が強張った。
「あ……!あっ、だめぇ……」
「……っ」
 びくびくと収縮する悠理の中で、清四郎も果てた。
  

 コトが終わったあと、悠理を抱き締めながら、清四郎はこれまでは想像もしえなかった
幸福感を覚えていた。この自他共に認める情緒障害者である自分が、セックスを愛の
行為と思える日が来るなんて。
「……僕たち、やっと一つになれましたね……」
「うん……」
 一方の悠理は呆然としていた。何が起こったのか、よく分からなかった。ただ、とにか
く意識が未だどこかへ出かけているようで、体を動かす気がしない。
「ああ、悠理」
 清四郎が、いつになく優しく髪を梳いてくる。額にキスまでくれた。
(猫可愛がりってのは、こういうことだな……)
 こいつ、あたしのことを一体どう思ってるんだろうと、悠理は思った。
 過去に一度、婚約を破棄しているのに、数年後、懲りずにまた婚約して、今度は本
当に結婚してしまった。
 悠理は自分の肩に乗っかる清四郎の腕を引き剥がした。
「暑苦しい」
「え?」
 と聞き返す顔が見たくて、悠理は彼の腕から抜け出し、布団の上に両膝を立てて座
った。腕が空になった清四郎は、少し呆けたような表情をしている。
(おいおい、なんつう無防備な顔してんだよ)
 普段、切れ者で通っている(多少)自信過剰気味の男とは思えない。ぽかんと口を開
けて、まるで子供みたいだ。
 悠理は清四郎の跳ねている髪を撫で付けてやった。
「寝癖ついてるよ」
「そりゃ、寝癖くらいつきますよ」
 今度は一転、憮然として呟く清四郎を、悠理は可愛いと思ってしまった。
「あれだけ激しい運動すればねぇ……」
「な、なんだよ、変なこと言うなよ!」
 悠理は清四郎に向けて枕を投げつけた。やっぱり可愛くない。
「愛い奴」
 なんて、顔にぶつかった枕をクッションのように肘に当てて、清四郎はくすっと笑った。
その笑みが、先程の子供っぽい表情とは打って変わって、色気さえ感じるようなひどく
大人っぽいものだったので、悠理は複雑な気持ちになる。
(やっぱりあたし、清四郎のことなんて、何にも知らないのかも……)
 彼を、一体何人の女性が通り過ぎていったのだろう。自分にそうするように、他の人
にもあんな風に笑いかけたりしていたのだろうか。    
「悠理?」
 気が付くと、起き上がった清四郎が心配そうに、こちらを覗き込んでいた。
「どうしたんですか、寂しそうな顔して」
「あたし、そんな顔してた?」
 悠理の問いかけに、清四郎は少し間を置いて、神妙に頷いた。
「……怖いくらい」
「なんでもないよ」
 彼があんまり切実な顔をしているので、安心させてやろうと、悠理は笑いかけた。
「そんな心配すんなっ……て……」
 不意に抱きすくめられた。
「清四郎?」
「愛してる」
 耳元で、そう言う声は、やけに切羽詰った響きを帯びていた。
「う、嘘でしょ?」
「嘘じゃない」
「いきなりそんなこと言われても信じられるかよ」
「それはそうですけど」
 悠理は清四郎の胸を押し返した。
「今まで、全然そんな素振り見せなかったくせに」
「ずっと自覚していなかったんだ」 
「……本当に?」
「本当さ」
 彼の熱っぽい口調に、段々口説かれているような気がしてくる。だが、悠理はキスを
拒むことはしなかった。
(男って、身勝手……)
 唇を首筋に滑らせながら、清四郎は「好きだ」だの、「綺麗だ」だの、愛の言葉を囁き
続ける。もはや一体、どこまでが本当なのか、よく分からなかったが、悠理は熱くなって
いく自分の体をぼんやりと感じていた。


 









どうして、エロってこんなに書くの疲れるの。
「初夜が、本当に初めて」ってのは、私の萌えポインツの一つなのです。
いまいち、ハッピーエンドになりきれないのは、「所詮男と女はすれ違い……」なんて、
私が拗ねているからでしょう。



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