幼き頃に



 あたししか知らない歌があった。
 父様も知らなくって、ブライも知らない歌だった。

 ――月夜に外をのぞかないで。
    足音立てずにやってくる。
    わたしをさらいにやってくる。

 今思い出せば、なんだか不気味な内容の歌だったけれど、あたしにはとても優しい響
きに思えていた。
 あるとき、その歌を歌っている人がいた。あたししか知らないはずの、その歌を。
「だれ?」
 歌は礼拝堂から聞えていた。あたしが中に向って声を出すと、ぷつんと糸が切れるよ
うに歌はやんだ。
 あとに残ったのは痛いくらいの沈黙と、この場所特有の冴えた空気で、俄かにあたし
は怖くなってしまった。
 礼拝堂の奥でカツーンと音がしたと思うと、それは靴音らしく、あたしの方に段々と近
づいてくるようだった。
 やがて男の人が出てきた。その人は青い髪をしていて、父様やブライよりも背が高い
ようだった。そして、かなり若いのだと、そのときのあたしは漠然と思った。
(というのも、当時のあたしは、その年代……十代の人間との交流が全然なかったのです)
 その人は、少し困ったような顔をして、あたしのことを見下ろしていた。
「どうしたの?迷子になったのかな」
「……」
 あたしは何も答えなかった。なぜなら、あたしは迷子ではなかったですし。
「困ったな」
 と、言いながら悩む風情を漂わせる背の高いその人だったが、どこかシリアスさが足ら
ないように見えるのは、今となっては分かる、その人の長所であり短所の片鱗なのであ
った。
 
 このひとはわるいひとじゃない。てゆーか、すっごくおひとよしにちがいない!

 幼きあたしはそう確信し、すると急にその人に対して、親近感が湧いてきた。
「ねー、さっき歌ってたでしょ!」
「え?……ああ、聞いてたの」
 少し決まり悪そうにその人は顎に手を当てた。
「誰もいないと思ってたから」
「あの歌、あたしも知ってるよ」
「へえ、そうなんだ」
 言いながら、その人は落ち着きなさげに、視線をさまよわせていた。どうも子供慣れし
ていないようだなと、年齢の割りに利発だったあたしは悟った。
「もう一回、歌ってみてよ、お兄ちゃん」
「ええ?」
「ねぇ〜、歌って!」
「だ、ダメだよ。ここは神聖な場所なんだからね」
「神様だって、賛美歌は喜ぶもん」
「でも、あれは賛美歌じゃないから……」
 ふと気付くと、その人は首からロザリオを提げていた。あたしは、いつもしかつめらしい
顔をして説教をしてくれる神官を連想し、自然と苦い顔になった。
 そんなあたしに、機嫌を損ねたと思ったのか、その人は慌てたように身を屈めて顔を
覗き込んできた。
「ごめんね。でも、僕は音痴だし、歌ならお母さんに歌ってもらえばいいと思うよ」
「……母様、いないもん」
 不意打ちのように出てきた「お母さん」という単語に、あたしは面食らった。母様が亡く
なって以来、誰しもが禁句のように口にしない言葉なのに、部外者であるその人はいと
も簡単に唇に乗せてしまったのである。
「かあさま、いないもん!!」
「……」
「死んじゃったんだもん!」
 触れてはいけないところへ触れてしまったその人は、感情を昂らせるあたしに呆気に
取られているようだった。
 ぽかんと口を開けているその人を気の毒だと思う気持ちもありつつも、あたしはいたた
まれなくなって、その場から脱兎のごとく駆け出した。
「お兄ちゃんのバカ!」
 と捨て台詞を残して。

 後日、あたしに若い教育係の人がつくことになった。みなさん、お分かりでしょうが、そ
れが、「その人」こと、クリフトだったわけです。
 あたしが八歳だから、彼は十四歳だった。随分とお兄さんに思えた。そして、それは
今でも変わらない。

 そんな昔のことを感慨深げに思い出していたあたしは、宿のテーブルで繕い物をして
いる「その人」を見遣った。 
「昔、クリフトが歌ってた歌あったよね」
「は……なんですか?」
「あのさ、月夜に外をのぞかないで♪ってやつ」
「あ〜、はいはい。あの変な歌」
 と、いささかセンチメンタルになっているあたしとは全然違って、クリフトの軽いノリには
思わず、ずっこけそうになる。
「そう言えば、あの歌を歌っていたら、姫様とお会いしたんでしたねぇ」
「どうして、あの歌知ってたの?」
 あたしは長年の疑問を口にした。あの歌はもの心ついた頃から知っていたけど、城内
ではあたし以外、誰一人として知らなかったのだ。なのに、どうしてクリフトは知っていた
のか……。
 だが、クリフトはあっさりと言ったものである。
「どうしてって言われても……私の母の郷里の歌なんですよ」
「えっ、そうなの!?」
「はい」
 と、クリフトはあたしの顔を訝しげに見た。
「何が不思議なんですか?」
 あたしは口を尖らせた。
「だって、お城じゃ、あたし以外、誰もあの歌知らなかったのよ。なのに、どうしてあたし
が知ってるのかなって……」 
「ああ、それはきっと」
「きっと?」
 あたしが聞き返すと、クリフトは少し逡巡するような様子を見せたが、やがて口を開い
た。
「私の母が、姫様の乳母をしていたからですよ」 
「……なにそれ。初耳だわ、そんなの」
「お乳離れをされてから、ほんの一年程でしたからね。お后さまが体調を崩されていた間
だけで。きっとその間に子守唄に歌ったのを覚えていたんでしょう」
 なんでもないことのように言うクリフトだったけど、あたしははっきり言って驚いた。 
「てことは、あたしとクリフトって、乳兄弟ってことなんだ!」
「はあ、そういうことになりますかね?」
 大発見だ!と興奮するあたしに、クリフトは頭を傾けた。
「いささか血は薄いようですが」
「やーん、そうなんだ〜。お兄ちゃんッ☆」
 冗談めかしてクリフトに抱きついたとき、部屋のドアが開いた。

「なにをやっておるのじゃ〜ッ!!!」

 その夜、ブライの説教で、クリフトは眠れなかったそうです。




 


 
やべえ、クリアリ(ていうかサントハイム三人衆)書くの、面白いよ!
 私、久美沙織さんのクリフトが結構好きなので(一般的には非難ごうごうらしいが)、なんか
情けないキャラになってしまいますね。
 いきなりMY設定発動してるし……。
 

 



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