ドライブ その車には、二人の男女が乗っていた。 「……あたし、結婚したくない」 ハンドルを握る悠理の呟きに、清四郎はギョッとした。 「なにを今更」 「だって、あいつ気持ち悪いんだもん!」 悠理は首を曲げてこちらを見た。 「キスするときに顎を掴むんだぜ、あのヤロウ!!」 「悠理、前を見ろ、前を」 清四郎が嗜めると、悠理は素直に首を戻した。だが、鼻息はフンフンと荒い。そんな 彼女の様子を窺いながら、清四郎はやるせなく額に手を当てた。頭痛がする。 「キスするときに顎を掴んだって、いいじゃないですか」 「イヤだよ、寒〜い。ドラマかよって」 「酷い言い草ですね。彼が可哀そうになってきますよ」 「可哀そうなのは、あたしじゃん!政略結婚の被害者だ!!」 ヒートアップしたせいか、スピードが急に上がり、清四郎は慌てた。 「興奮するなッ!」 「……ごめん」 悠理は一転して、しゅんと肩を落とした。強張っていた腕から力が抜ける。 「でもさぁ、あたし……あいつと初夜なんか、迎えられないよぉ」 「いざとなれば、なんとかなるでしょ」 清四郎は適当に言った。また、悠理のボルテージが上がる。 「なんとかなんかなるか!!お前、考えてみろよ。好きでもない男に素っ裸にされて、 あれこれいじくりまわされるんだぞ!!この無神経男!!」 滅茶苦茶に罵られて、清四郎は憮然としたが、悠理の言うことももっともだ、と思い直 し、「すまない」と謝った。 「そうだな、悠理の言うとおりだ。好きでもない男と……するのはイヤに決まってる」 「だろ!?もう想像しただけで、あたし……うううう。おえー」 「でも、昔の男女は大抵そうなんですけどね」 「信じられない」 「式の当日に初めて顔を合わせるなんて、ザラだったらしいですし」 「それは昔の話だろ!?今の話をしてよ、今の話を」 駄々を捏ねるような悠理にうんざりして、清四郎はぼんやりと前方の車のハザードラ ンプを見詰めた。対向車に、ヘッドライトを点けた車が増えてきている。 「点けたら?」 「なにをだよ」 「ライト」 悠理は小さく頷いた。 「もう、そんな時間かぁ」 「そんな時間ですよ」 「そう言や、この前、あいつとドライブしてたらさ……」 「また、あの人の話ですか」 「まあ、聞いてよ。あのヤロウ、いきなり路肩に車を止めるんだよ」 「はあ。エンスト?」 「違うのさ、それが。あたしに顔を近づけてきて」 「近づけてきて?」 「悠理さん……綺麗だよ。って言うんだよ!!」 「それは、理解しがたい行動ですね」 悠理が綺麗だなんて。そういう意味を込めたのだが、彼女は気が付いていない。 「もー、あたし鳥肌立っちゃって。綺麗だよ、綺麗だよだって!!」 「素敵な台詞じゃあないですか」 「素敵じゃなーい!!キモい!」 喚く悠理を、清四郎は横目で睨んだ。 「人のことを、キモいなんて言うもんじゃないぞ。ましてや婚約者を……」 「あー、イヤだイヤだ、結婚なんて」 清四郎は、やれやれと肩を竦めた。前方にコンビニの光る看板が見えてくる。 「そろそろ運転、替わりましょうか」 コンビニで(悠理の)食料を買い込み、今度は清四郎が運転席に座った。悠理に運 転させるほうが却って疲れる。 「眠い……」 助手席の悠理は目を擦っている。 「寝ていいですよ」 「ヤダ」 「……ご勝手に」 「ラジオ点けていい?」 「どうぞ」 ステレオから、見知らぬ人間の会話が流れてくると、急に夜が深くなったような気が するのは、何故だろう。 「清四郎、初めてのキスは好きな人とだった?」 「いきなり変なこと聞きますねぇ」 「あたし、好きでもないヤツとだもん。だから、他の人はどうなのか知りたくて」 清四郎は遠い記憶を思い返した。 「僕も……特に好きな人じゃなかったですよ」 「ふーん、そうなんだ……」 へへへ、と悠理は小さく笑った。 「なに笑ってるんですか」 「別にぃ」 「……」 その悠理の笑いをどう受け取ったら良いのか分からないまま、清四郎はハンドルを切 った。 料金所を抜けて、ランプを登っていく。闇の中、ホテルのライトが白々と光りを放つ。 窓の外を見つめながら、悠理は呟いた。 「どうして高速のそばって、ラブホが多いの?」 「……スピード出して、興奮するからじゃないですか」 「マジで?」 「ただの推測ですけど」 と、清四郎はダッシュボードにのっている煙草に手を伸ばした。 「吸っていい?」 「ダメ」 即座に拒否されたのが腹立たしく、清四郎は少し邪険に箱を放り投げた。 「分かりました、我慢します」 「禁煙しろよ。魅録だって、やめたんだから」 「あいつは愛妻家だから」 パートナーが妊娠して以来、魅録はきっぱりと煙草を絶っている。 「僕には、愛する妻も彼女もいないものでねぇ」 清四郎は、横顔に悠理の視線を感じた。 「彼女、作ればいいのに」 「作ろうと思って、作れるものじゃない」 「あたし……カノジョになってあげよーか?」 「冗談」 ははっ、と清四郎は笑ったが、悠理の笑い声は聞えてこない。 沈黙が車内を支配した。いや、FMのDJだけが喋っている。 一時間後、目的のインターチェンジを下りた。 「あと、三十分くらいですか」 「行きたくない」 「駄々をこねない」 「だって、会いたくないんだもん」 「今から、そんなんでどうするんです。夫になる人の実家でしょう」 「……」 答えない悠理を見遣ると、彼女は唇を噛み締めて俯いていた。 清四郎は苛々とスピードを上げた。道路は空いている。 「気に入らない点があっても、多少のことには目を瞑る癖をつけないと……」 「説教かよ」 「お前が言わせてるんだろ」 さっきは止めた煙草を、清四郎は今度こそ口にくわえて火をつけた。 紫煙は、防御壁だ。 「文句ばっかり言ってちゃ、幸せが逃げていくだけだ」 「……清四郎は」 「うん?」 「わかってない!」 悠理は突如、闇をつんざくような大声を出した。 「わかってない!わかってないんだあ〜〜!!」 清四郎は煙草を灰皿に棄てると、片手で耳を押さえた。 「こら!うるさいぞ」 「清四郎のバカ、アホ、死んじゃえ〜!」 「バカ、やめろ!」 悠理は清四郎の腕をぽかぽか叩き、挙句の果てには首に手を掛けてきた。清四郎は 慌てて、路肩へ車を寄せる。 「なにをする……んだ」 語尾が冴えなくなったのは、悠理がすんすんと泣き出したからだ。両手で顔を覆って いる。 清四郎は動揺した。 (らしくないじゃないか……そんな風に泣くなんて) ティッシュを一枚取って差し出すと、ひったくるように奪い取られた。悠理は勢い良く 洟をかんだ。その音をBGMにしながら、清四郎は煙草の箱を取って手の中で弄んだ。 彼女の泣きに弱いのは、自分の最大の弱点だと清四郎は思っている。その所為で、 学生の頃から様々なトラブルに頭を突っ込むはめになったのだ。 だが、そうなることを自分が望んでいなかったとは、言い切れないのが困ったところで ある。 あと少しなのに……ゴールは目の前に見えてきている。このじゃじゃ馬を送り届けれ ば、自分は晴れてお役御免だ。それは、高校生の頃も含めた人生において、というこ とだが。 そこまで考えて、清四郎は苦い思いを抱きつつ、口端を上げた。 (まっ、僕も最初から、あいつは気に入らなかったんだ) あの格好ばかり気にしているような男に、悠理を乗りこなせるとは思えない。 とまあ、何だかんだ理由をつけてはいるが、土壇場に来て、彼女が惜しくなったという だけかもしれなかった。 清四郎はシフトレバーに手を伸ばしながら、未だ泣いていている悠理に聞いた。 「そんなに、嫌なのか?」 「……いや」 ローに入れる。 「よし、分かった」 車を発進させると、すぐに人気の無いスーパーの駐車場に乗り入れ、Uターンした。 悠理が物問いたげにこちらを見る。 「どこ行くんだよ」 「どこ行きたい?」 そう聞き返すと、悠理は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした。が、すぐに、 「ドライブーっ!」 と、嬉しそうに言った。 「僕は場所を聞いたんですけど」 「どこでもいーって」 「じゃあ、ホテル」 「いいよ」 「いいよ!?」 清四郎は思わず、悠理に顔を向けてしまった。すかさず前に向き直させられる。直線 道の信号は、見渡す限り青が連なっていた。ゴーサインとは思いたくないが……。 「またまた、冗談ばっかり」 「さっきから、お前、冗談にしようとしてばっかだな」 悠理は窓を細めに開けた。夜風が吹き込んできて二人の髪を揺らす。 「彼女になってあげようか、って言ったじゃん」 「本気だったのか?からかわれてるのかと思った」 ……九時のニュースをお伝えします…… 「からかってないもん」 乱れた前髪をかき上げながら、悠理は呟く。 「本気だもん、あたし」 「僕、イヤですよ。顎持ってキスしたら、陰口叩かれるなんて」 「清四郎なら、気持ち悪いなんて思わない」 「素っ裸にされて、僕にいじくりまわされてもいいんですか?」 「……うん」 「そ、そう……」 ハンドルを握る清四郎の手は、いつの間にか汗をかいていた。彼方に派手なネオン が光っているのが見えてくる。こんな、おあつらえ向きに。 妙な焦燥感に駆られていると、悠理が言った。 「ねえ、賭けしよーよ」 「賭け?」 「あのホテルの名前が、アルファベットかカタカナか」 未だ、看板の文字ははっきりとは見えない。 「……それで」 「アルファベットだったら、行く。カタカナだったら、行かない」 「……」 どこへ、とは清四郎は聞かなかった。ただ、アクセルを踏み込む。 段々、看板が近くなってくる。文字は判別できそうで、中々できない。 ――アルファベットだろうが、カタカナだろうが。 無意識のうちに、清四郎は眉根を寄せて目を細めた。悠理が「あっ」と声を上げる。 彼はウインカーに手を伸ばした。 back |