愛欲 2



寝衣に外套を羽織った姿で、ヒルダは外へ出た。冷たい夜気が肌を刺す。宿の敷地
外まで出るのは、さすがに物騒なので、門扉に凭れて外に目を凝らした。 
 バルカの繁華街の南端に建つ、この宿屋の一帯は夜が更けても、まだ明るい。腕を
絡め闊歩する男と女が、何組も目の前を通り過ぎて行った。
 彼らを眺めるヒルダの目が、表面上は冷めていても、心の中は靄がかかったようにす
っきりしない。

(私……疑ってるのね、あいつのこと……)

 嫌な女だ、と自己嫌悪に陥る。彼のことは信頼できる人間だと知っている。だからこそ
好きになったのに、想いが通じ合った途端、その信頼する気持ちが実に心もとないもの
に思えてくる。
「あーあ」
 諦観の混じった声でぼやきながら、ヒルダが足を組み替えたとき、不意に背後で何か
動く気配がした。
 身を強張らせながらも後ろを振り向くと、そこに立っていたのはティトレイだった。どこ
か不機嫌そうな顔をしているのは、昼間のことをまだ引き摺っているからかもしれない。
「なにやってんだよ、こんなところで」
「え……」
 宿の敷地内にいる彼の姿に、ヒルダは驚いた。
「あんたこそ、どうして」
「おれ?おれは、何となく……頭冷やしたくて、ただ空を見てただけだ」
「……」
「で、ヒルダは?もしかして、おれのこと心配して見に来たとか?」
「……そうよ、心配して外に出てきたの」
 言いながら、ヒルダは自分が情けなくなってきた。やっぱりティトレイは疑うべき男じゃ
なかったと、安堵する気持ちよりも、彼に対する申し訳なさの方が勝っていた。
「心配って……マジでか?」
  ヒルダの言葉に、ティトレイは苦笑している。
「おれが、その辺の男にやられると思う?」
「そうじゃないの。私……ティトレイが、誰か他の女の子と……」
「は?」
 彼は怪訝そうに眉を顰める。ヒルダは決まりが悪くて面を伏せた。
「遊んでるんじゃないかって思ったのよ……」
「なんだそれ」
 声から察するに、ティトレイは呆気に取られているようだ。
「本当に、なんだそれ、だわ」
「どうして、そんなこと考えたんだよ」
「昼間、あんたが『たまってる』って言ってたから」
「え〜?」
 ティトレイは困惑したように頭を掻いたが、すぐに声を荒げた。
「……ていうかさー!おまえ、おれのこと、そういう不埒な男だと思ってたわけ!?」 
「別に思ってないわ。ただ……疑っただけよ」
「んだよ、腹立つなー。おれって全然信用ないのな」 
「だって、男って、好きじゃないヒトとでも、できるって言うじゃない」
「だから!おれをそういうヤツと一緒にしないでくれる!」
 と、彼はヒルダに向って、指をつきつけた。目がマジだ。
「いいか、まず言っておくが、おれはそんなに餓えてねえ!!」
「本当に?なら、どうして昼間……」
「ほ、本当だって!それにだ、おれが致したいのは……その、おまえだけであるからし
て……他の女に手を出すことは、絶対にない」
「本当に?」
「本・当・だ!!少しは信用しろよ、おれの言うこと!」
 子供みたいな剣幕で言い募るティトレイに、ヒルダの胸が俄かにざわめいた。
 今のようにあどけない様とは裏腹な、自分を抱いているときの彼の顔が見たいと思って
しまった。

(私も、たまってるのかしら?)

 こんな風に、行為を望んだことは今までなかったので、ヒルダは困惑した。しかし、そ
んな彼女には気付かず、ティトレイはこの場を切り上げようとしている。
「まあいいや。それよか、早く中へ入ろうぜ。風邪引いちまう」
「待って」  
 と、ヒルダはティトレイの袖を掴んでいた。が、掴んだものの、自分が今からしようとして
いることが、とても正気の沙汰とは思えず、彼女は躊躇した。
「どうしたんだよ?」
 訝しげに見下ろすその顔さえ、ヒルダの熱を助長する。

(わ、私、本当にどうしちゃったの?……なんか……変!)

 ヒルダはティトレイの袖を掴んだままで、門の外へと歩き出した。
「え?な、なに?」
 ティトレイは目を白黒させていたが、それに構わず、ヒルダはすたすたと歩みを進めて
繁華街のど真ん中へ入った。
 煌々と灯る店先の電灯の下、ひといきれの中を泳ぐように進む。かつて自分が刻んだ
足跡を辿っていくと、やがてメインストリートを外れて、狭く薄暗い路地へ出た。
「おい、どこへ行くつもりだよ」
 ずっとヒルダに引かれるままに着いて来ていたティトレイだったが、ようやく抵抗を見せ
始めた。
「着いたら分かるわよ」
 と、言っている間に、いつの間にか、二人はその場所に辿りついていた。
 その建物は、とても古びていて、ひっそりと己の気配を隠すように佇んでいた。控えめ
なランプが頭上に灯っている。
「な、なんだここは?」
 狼狽しているティトレイには答えず、ヒルダは錆びた門扉に手を掛けた。軋んだ音を立
てて門が開く。
「こ、これってもしかして……連れ込み宿ってやつ?」
「分かってるなら、聞かないの」
「……」
 ヒルダがベルを鳴らすと、音もなくドアが開き、中から年老いたヒューマの女性が顔を
出した。彼女はヒルダのことを見知っていたようで、「おや、あんたは」と言ったが、すぐ
に口を噤んで、二人を中へ引き入れた。
 老婆に先導されて部屋へ向う階段を上る途中、「おまえさぁ」と、ティトレイは何かを言
いかけ、ぎくりと肩を強張らせた。思った以上に声が大きく響いたことに動揺したらしく、
結局、彼はその場では続きを口にしなかった。


 案内された部屋の入り口で、困惑したような顔を向けるティトレイを、ヒルダは無理やり
中へ押し込んだ。老婆に金を渡すと、部屋へ入り、後ろ手にドアを閉める。
 ベッドの存在感が大きい部屋の中で、ティトレイは所在無げに窓辺に立っていた。ヒ
ルダに気が付くと、弾かれたように振り返ったが、顔が何か言いたげに強張っている。
「……こういうところ、イヤ?」
 ヒルダは外套を脱いで、クローゼットに掛けた。ティトレイがおずおずと言った様子で
傍に来る。
「い、嫌じゃないけどさ……いきなりすぎて、なにがなんだか……」
 わからん、と彼は呟いた。
 ヒルダはベッドに腰掛けると、寝衣のボタンを外し始めた。それを見たティトレイも我に
返ったように、慌てて頭の飾りを外して、ベッドサイドのテーブルに置いた。
 胸の半ばまで寝衣を肌蹴たところで、ヒルダは突っ立っているティトレイを見遣った。
「……ね、来て」
 彼女の言うままに、彼は隣に腰を下ろした。スプリングが揺れるのと同時に、視線がぶ
つかる。瞼を薄く開けたまま、二人は顔を傾け唇を重ねた。触れただけで離したあと、ヒ
ルダが小さく吐息をもらすと、すかさず今度は深く塞がれ、ベッドに組み敷かれた。
「んっ……」
 口付けを交わす合間に、はやる心のまま、お互いの服を剥ぎ取っていく。露になった
白い肌にティトレイの指が触れるたび、ヒルダは体を小さく震わせた。
 最後の服をベッドの脇に脱ぎ捨てると、ティトレイはヒルダの体に圧し掛かってきた。若
い熱情を持て余しているかのように、彼は激しく求める。
「あ」
 熱い指と唇の愛撫に、ヒルダの意識は掻き乱された。
 そんな青年の勢いに流されまいとして、今までの彼女は行為の間も、えてして自我を
繋ぎとめようと努めてきたのだが、今日はそれも叶いそうに無かった。
 体が、どんな些細な官能も逃すまいと、やけに敏感になっている。
「や、いや……ティトレイっ」
 泉の奥へと舌を伸ばす彼の髪に、指を差し入れ掻き乱した。この髪も、その熱い体を
流れる血潮も、今は自分だけのものだと恍惚の合間に思えば、余計に狂おしくなる。
「はぁ……ん……」
 幾度か体を交わす間に知られた弱点を、ティトレイは執拗に苛む。堪えきれずに漏れ
る高い声を隠そうと、ヒルダは枕を口に当てた。
 初めて寝たときには、愛する仕草にも、まだどことなく頼りなげな風情を漂わせていた
くせにと、彼女は複雑な感情を抱く。今ではまるで一端の男のような顔をして、自分を翻
弄するティトレイが、愛しいやら腹立たしいやら。
 快楽に霞む頭の隅で、そんなことを思うにつれ、段々、上り詰める感覚が強くなってき
た。腰から、ぞくぞくとざわめきが指先まで広がっていく、そんな感じの。
「だ、だめ……っ」
 まだ、達したくはなかった。懇願するように言うと、愛撫は止み、ティトレイが手の甲で
口を拭いながら半身を起した。
「えらい感じてたな」
 揶揄するように笑って、彼はこちらを見下ろす。その茫洋としているようで、ひどく真剣
な色の瞳を、ヒルダは息を整えつつ見返した。
 この顔が好きだ、と思う。普段の能天気で善良な仮面の裏に隠した、身勝手さや焦燥
がない交ぜになった、この顔が。
 ヒルダはティトレイの肩に手を掛け、促した。
「早く……」 
 いつもなら絶対言わない台詞を、欲に駆られたばかりに、吐いている自分が滑稽に
思えたが、それもすぐに、彼から与えられる激しい衝動に掻き消される。
「あぁっ!」
 熱い楔が抜き差しされるたび、あられもない声を上げて、ヒルダは身を捩った。
 繋がった部分が火傷するように熱く、耳元で時折漏らされる切なげな吐息が、彼女を
更に昂らせる。
「ヒルダ、おれのこと好きか……?」
 不意に、ティトレイが荒い息の合間に聞いてきた。情欲に燃えた目がヒルダを射抜く。
彼女は震える声で言った。
「……す、好きよ……」
「本当に?」
 疑り深く問い返す彼に、ヒルダはがくがくと頷いた。限界が近づいてきていた。
「……あ、もぉ……っ」
「駄目だ、一緒に……!」
 ティトレイは細い腰を掴み、一層激しく突き上げた。
 乱れた髪を彼が乱暴にかき上げた拍子に、汗が滴り落ちて、ヒルダの豊かな胸を流れ
ていく。互いの汗と体温が入り混じって、どちらのものなのか、最早分からない。
「も……だめ……!」
「……っ」   
 ヒルダは悲鳴を上げ、しなやかな肢体を強張らせた。数瞬の間の後、弛緩する彼女の
後を追って、ティトレイも奥深く精を吐き出した。


+++


「ねえ、ティトレイ」
 枕を抱くようにして、うつぶせているティトレイの髪を、ヒルダは指で優しく梳いた。だが、
彼から反応は返ってこない。
「……寝ちゃったの?」  
「寝てねぇけど」
 と、彼はうつぶせたままで、ヒルダの方に顔を向けた。どことなく拗ねた表情をしている。
「ずっと考え事してたんだ」
「考え事?なによ」
 訝しく思ったヒルダが問うと、ティトレイは目を逸らした。そして、ぶつぶつと呟くように
言う。
「おまえってさ、前にも、ここに誰かと来たことあんの?」
「……ああ、さっきの」
 先刻、老婆が口にした「おや、あんたは」という言葉を、彼はずっと気にしていたらしい
と、ヒルダは察した。

(可愛いヤツ……なんて言ったら、怒られちゃうわね)

 小さく口元を緩めると、ティトレイは、ガバと上体を起こした。
「い、言っておくけど、おれは別に、おまえが昔誰と付き合っていようが、そんなことは全
然気にしてないぜ。ただ、その〜なんつうか〜」
 ああっダメだ!と、ティトレイは頭を掻き毟った。
「違う違う!やっぱり、おれ気になってるんだ〜。おまえが前に誰とどんなことしてたとか
すげー気になっちまう!!」
 正直すぎる男、ティトレイ。自分にすら嘘をつくことは困難のようだ。そんな彼を、ヒル
ダが頬杖をついて眺めていると、ティトレイは顔を真っ赤にした。
「なんだよ、余裕ぶって!答えろよ!」
「私、ここに誰かと入ったことはないわ」
「……本当か?」
 じとー、と彼らしくも無い疑心に満ちた目で、ティトレイは睨んでくる。
「でも、受付の婆さんは、おまえのこと知ってたじゃねえかよ」
「あれはね、昔、トーマがここを使っていたからよ」
「トーマぁ?」
「あいつがここに来るときは、いつも私かミリッツァがお供に付けられていたの」
 だから、おばさんは私を知っていたのよ、と、言うヒルダに、ティトレイは子供みたいに
口を尖らせた。
「それで、ベッドのお供もしたとか言うんじゃねーだろうな」
「あ、あんたねぇ!」
 ヒルダはティトレイの下から枕を抜き取って、彼の顔に思い切り叩き付けた。
「ぶっ!」
「冗談でも、言っていいことと悪いことがあるのよ!!」
「ぎ、ギブギブ!おれが悪かったから許して!」  
 枕で顔を押さえつけられて、手をばたつかせるティトレイ。その哀れな姿に免じて、ヒ
ルダが枕を外してやると、彼はぜえぜえと息を切らせている。
「おれを殺る気だったな、おまえ!!」
「今のは、全面的にティトレイが悪いわ」
「……ま、確かにな」
「トーマはガジュマにしか興味がなかったから、その点は心配しないで」
 そう言ったときに、ヒルダの横顔を過ぎった憂いを、ティトレイは見逃さなかったが、そ
れに対して何か言葉を掛ける必要も今はないと判断して、なにも言わないでおいた。
 その代わり、もう一つ気になっていたことを口に出すことにする。
「それにしてもさ、今日のヒルダって……」
 と、言葉を止めて、ニヤニヤと目を向ければ、彼女は綺麗な眉をひそめた。
「なに?」
「すっごい、情熱的だったよなぁ」
「……!」
 さあっ、と白い顔に朱が走った。自覚はあるらしい。
 からかうネタができたとばかりに、ティトレイは更に言葉を継ぐ。なにしろ自分たちの関
係において、こんな機会は滅多にないので。
「ま、情熱的っつうか〜、さかってるっていうか〜」
「やめなさいよっ!」
 ヒルダはティトレイの口を手で塞ごうとしたが、返り討ちに合った形で、手首を捕まえら
れてしまった。バランスを崩した体がぐらりとよろけて、彼の胸の中に丁度良く納まる。
「へっへー、キャッチ」
「なによ、いやらしい顔して……」
 そう言って睨むヒルダだが、そんな仕草さえ、ティトレイにとっては愛しい。つまり睨ん
でも意味がない。
 彼のニヤニヤは益々深まった。ついでに、魅惑のバストにも手を伸ばしてみると、ぴく
んと、ヒルダの肩は揺れた。その控えめな反応が、彼の情欲を妙にそそる。先端をくるく
ると指先で撫でれば、そこはすぐに硬くなった。
 ティトレイは彼女の耳を噛むようにして囁く。
「やっぱり、さかってるぜ」
「さ……さかってたら悪い……?」
 息を押し殺すようにして、ヒルダが言った。
「それを言うなら、あんただって、そうじゃない」
「そうだよ、それでいいじゃねえか」
 あっけらかんと言うティトレイの手の甲を、ヒルダはつねった。
「……動物みたい」
 そう呟くと、ティトレイは痛みに眉をしかめながら、憮然とした面持ちになった。
「誰とでもやるような動物と一緒にするな」
 おれの目にはヒルダしか映らないんだ!と、続けて、格好良く決めたものの、彼の分
身が既に臨戦態勢に入っていたようで、彼女の口元は歪んでいた。
「へ、変なもの当てないでよ」
「変なものって……そういう言い方はねーだろ!」
「だ、だってイヤなの……」
「バカ、おまえ……さっきは散々、コレで善がってたくせに」
「イヤ〜っ!変なこと言わないで!!」
「だから、変なことじゃねえっつーの!」
 髪を振り乱して耳を塞ぐヒルダの手を掴んで、ティトレイは無理やりシーツに押さえつ
けた。そしてそのまま、その柔らかな体にむしゃぶりつく。
 彼女は、じたばたと抵抗するが、直に陥落することは分かりきっている。事実、逃げる唇
を追って口付けすれば、やがて風が凪ぐように、華奢な腕を彼の首に絡めてきた。
「すぐ良くなるくせに……」
 唇を離し、笑みを含んだ目で見下ろしてくるティトレイの胸を、ヒルダは小さく叩いた。
「どうせ、私は淫乱よ」
「いいねぇ、淫乱」
 短く口笛を吹くと、彼は手を伸ばし、組み敷く女のしなやかな脚を持ち上げた。
「それがヒルダなら、おれはどんなんでも、許しちゃうぜ」
「ちょっと、肩に担ぐのやめて……」
 抗議する彼女には構わず、ティトレイは腰をソコに宛がい、ぐっと進めた。「あ!」と、ヒ
ルダの白い首がのけぞる。  
「淫乱には似合いの体位だろっ……?」
「もうっ、バカぁ!」
 こんな罵りあいも、二人にとっては愛の囁きに等しい。
 互いの体温を分け合い、一つに溶けていく行為に、彼らはやがて没頭していった。


 結局のところ、二人とも愛欲に駆られるお年頃、ということで――終幕。
    




 


↓反転で、あとがきです。
 有閑のとこでも書いたけど、ホントになんでエロってこんなに書くの疲れるんでしょう。
最近、めちゃ頑張らないと、SEXシーンって書けないです……。昔はもっとサクサク書い
てたような気がするんですけどねぇ。って、それもちょっとアレだが。
 イタしてる間、なんだかやけにティトレイが無口になってしまったので、次は喋りまくる彼を
書いてみたいですね。絶対、ギャグになりそうですけど。
 


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